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サイエンティスト・事業戦略担当・コンサルタントとして、企業の課題解決に取り組んできました。気ままにですが、参考になりそうなことを書いていければと考えています。コメントをいただけると嬉しいです。

アホな上司分析とヤツらとの付き合い方

ビジネススキルアップ

「ふざけんなこいつ、アホか。わけわかんねぇ」

 仕事をしていると幾度となく思ったことがあるのではないでしょうか?こうした状況はどこにでもあって、それゆえに転職サイトで「転職の一番の理由は人間関係」、などと言われるのではないかと思います。

 

私もそうでした。精神的に追い詰められ、不眠症に陥って睡眠薬を飲むようになりました。カウンセリングが必要な精神状態で産業医との面談を定期的に行って何とか持ちこたえてきました。酒も飲んでいないのに、心が折れそうで足がもつれる様なこともありました。

 

でもそんな状況を経て何とか立ち直り、上司に丸めこめられずに自分の判断を押し通せる様になりました。感情的な判断を論破し、或いは判断に迷う状況で凄まれても押し返すことが出来る様になっため、無駄に泣き寝入りすることもなくなりました。上司の考える”成功確率の低い選択肢”をつぶし、”最も成功確率が高い判断”を社内で押し通すことが出来ました。結果論では何とでもいえてしまうかもしれませんが、上司の意見に負けずに最も成功確率の高い意見を通すことで会社に価値を提供できたのではないかと自負しています。

 

結局は、転職という形でその上司のもとを離れることになりました。無益な上司との闘いに自己成長・ひいては、社会への貢献につながることはありえないかと思ったからです。そして今は素晴らしい上司の下に就くことができました。これはとても幸せなことです。

 

しかし同時に、コンサルタントとして一緒にプロジェクトを進める中で、その確率は圧倒的に低くなったものの、どうしてもうまくやれない同僚・マネージャー・上司がいることにも気が付きました。どうやら、仕事をしやすい人とそうでない人はある程度体系化出来、できる上司に会うことが出来ればいいけれど、そうでないことも多い。出来る上司は非常に少ないと言っていいかもしれません。逆に言えば、仕事を進めていると、大なり小なりどうしてもうまくいかない人と仕事をしなくてはいけないのかなと思います。

 

でもその度に転職もしていられない。上司を変えるために何かアクションを起こしても、そうそう異動までは時間がかかってしまう。こうしたことはキャリアにおける自己実現に向け、ロスでしかありません。自分自身を守り、ビジネスでの自分の目標を果たすためには、嫌な人と付き合う時間も必要になるでしょう。また、上司になって部下を持つ身になっても何等かの形で付き合いにくい人はチームにいるでしょう。常に最高のチームにいることなど、ありえないのかと思います。ですので、自分がそういったチームを作るためにプロアクティブに動いていかなければいけません。

 

このため、私が押しつぶされそうになりながらも”アホな上司”を乗り越えてきた経験は、自己成長という観点から価値のあったことではないかと思いました。それ自体がビジネス上の価値を生むかはともかくとして。

 

そこで、多くの人が直面する課題『アホな上司』に対して、『ヤツらとの付き合い方』をまとめてみました。

 

まず初めに

まず初めに断りますが、人と付き合うためにはある程度の我慢は必要です。以下の方法が一助となればとは思いますが、ご自身がビジネス上で成したい信念に沿うために「アホな上司」と付き合うことが必要であれば、どうしても我慢しなければならないことはあります。”上司の上司は必ず見てくれている”という言葉を赤羽雄二さんが各書に書いておられますが、それまでの時間、我慢しなければなりません。自身の信念を見据え、いまの環境にいる価値があるのかを真剣に考える必要があります。

 

そして同時に、即時に全力で避けるべき人・環境もあります。具体的には、

  • 病的な人(何らかの治療が必要なのかと思います)
  • 他人を攻撃することが生きがいな人(一緒にいると傷つくばかりです)
  • ”ハラスメント”に類することをする人(言語道断)
  • 社会倫理・法的に抵触することを推奨・強要する人(言語道断)

等でしょうか。

 

こうした環境は、ハラスメント相談機関・産業医・別の部署の部長などの第三者への相談をするか、それがかなわないならば転職・異動・退職の手段を講ずるべきです。上記に当てはまる場合は具体的な行動をしてもらいやすく、かつ我慢することに意義はありません。

 

アホな上司を分析する

 この上で、アホ上司と付き合うためには、冒頭にあげた「ふざけんなこいつ、ワケわかんねぇ」という気持ちを分解することが必要です。なぜアホと思うのかを冷静に言語化してみる。”新橋のサラリーマン”的に愚痴を言って終わりなのではなく、より具体的に言語化します。

 

私の出会ったアホ上司のアホな理由を分解すると以下の3種類に分けられます。

 

①自分の学んできたことを体系立てることが出来ない

②働くことに信念がない

③感情が社内判断に加わる/感情を抑えることが出来ない

 

こういう人の下につくと、具体的に何が起きるか、それぞれについて、例を挙げてみます。

①自分の学んできたことを体系立てることが出来ない

  1. 書類などが最終承認されるまでに差し戻しが大量に発生する
  2. 出来上がる書類が”ヘボい”(最初に自分でつくったやつの方が良くない?の様な感想を持つ)
  3. 指摘を受けても納得がいかない
  4. 指示や指摘が極めてあいまいで、上司の言葉の解釈・仕事の進め方に非常に悩む
  5. 作りあげた成果が上司の認識と大きくずれており、しかもなぜか怒られる

 ②働くことに信念がない

  1. 梯子を落とされ、その結果しくじると怒られる(会議でいきなり話を振られる/資料の出来の悪さの責任を押し付けられる等
  2. 相手によって意見を変える・保身に走る(自分には押しつけてきた考えを上司の上司の一声でコロっと変える等)
  3. 他部署の人が居る会議では、「なんとなくな一般論」で丸め込み、うまい様に話をまとめる。そして「一般論」を基に無茶ぶりをされる。(「xxxの予測を分析しなければいけないってことだよね。ASAPでやります」←『それが早くだせねぇからこまってんだろー!!』みたいな)

 ③感情が社内判断に加わる/感情を抑えることが出来ない

  1. 自分の好き嫌いで意見を言う(事業方針だけでなく、人の好き嫌いも判断の根拠になってしまう)
  2. しかも、それをうまく丸め込もうとゴチャゴチャとどうでもよい根拠づけを行う
  3. 意見が通らないと、ダダをこねだし「そうなるに違いない」という前提のもとでデータを分析させる
  4. そもそも、自分が意見を通したい理由が”自分の人間関係/名声”等の個人的なものだったりする

 

付き合い方

 怒りとやるせなさと寝不足で震える頭で、上司のアホさを上記の様に分解し、どうしたら何とかなるかを考えてきました。そうして行ってきた具体的な方法をまとめてみたいと思います。 

①自分の学んできたことを体系立てることが出来ない⇒見限って自分で勉強しましょう

こうした上司を表現するためには、「能力が低い」という表現が適切なのかと思います。こうした上司は基礎的な教養、例えば日本語の作文能力・語彙・英語力・計算力といった、学校で身に着けられるモノを驚くほど知らないことがあります。同様に仕事でも、仕事の本質を抽出して学び・体系立て、次の仕事に生かすという発想がない。学校の教科書の様に「体系だてられた仕事」というのは無いですが、より良い仕事をするために以前の経験を活かしたり、何かを取り入れたりといった工夫をすることが必要ですが、そういったことが出来ません。またその様な姿勢も見受けられません。こうした上司についた場合は「上司の能力を見限って自分で学ぶ」しかありません。書籍や友人、他部署の優秀な上司etc...何らかの形で。上司の出来によらずとも、自己成長のためには自分から学ぶ姿勢は不可欠だと思います。

 

なぜ上司がこうなってしまうかというと、「学ぶ力がない」ことに原因があると思っています。その上司がかつて仕事を任されたとき「その仕事の本質とやり方を真剣に考えたこなかった」、つまり仕事から学ぶことをしなかったのだと思います。上司はその当時、指導者の指示するがままに考えることをせずに”作業”を沢山行い「自分はいい仕事をした」と思い込んでいる。高度経済成長で仕事はたくさんあったのでしょうか、「いやぁ、昔は毎日夜中まで。土日もほとんどなかったよ」という様な、たくさん仕事はした自慢をするアホな上司は結構いると思います。「要領が悪かっただけなんじゃないっすか?」とは言えなかったですが、酔っぱらったフリして失言しておけばよかった。

 

仕事の仕方は、いかようにでも改善の仕方があり、同じ様な仕事であればより速く・正確に・高品質なモノを生み出せる可能性を秘めています。文書作成や計算方法一つとっても、目的に合わせて何が必要かを考えると書式や文章構成、諸々のやり方が洗練されて然るべきです。Excelであれば、計算式をうまく組み合わせることでシュミレーションを容易にできる様になったり、今まで計算していたものが単純な入力だけで良くなったり、フォーマットを工夫することで見直しがしやすくなったり等々。やりようは数多あります。

 

でも、その上司が作った資料は2年前から何も変わっていなかった。読みやすいならまだしも、非常に伝わりにくい。また、部下の資料を見ても、とってつけた様な思い付きの指摘しか出来ず、結果、差し戻しも多くなる。「この資料で何を伝えるのか/どういった意味を持つのか/ならばどう作っていったらいいのか」と考えることを怠ってきたためだと思います。仕事から学ばず、自分の経験を体系立てることを怠り、会社の犬として働いてきた。そんな人から知的生産物・価値のあるものが生まれる理由が見当たりません。

 

 ②働くことに信念がない⇒根回ししましょう

 

そもそもが①に起因するところが多い様に思うのですが、「自分の出来ないことを部下に求める」ため、「モヤモヤした仕事」が飛んできます。そして出来ないと、自分の身を守るために部下を責める。自分の指示で作らせたのに、上の言うことに一言の反論もなくYes Sirと言って、また部下に資料の訂正を要求してくる。ついでに愚痴を言う。嫌になりますね。

 

知的生産性を求められる仕事に従事している以上、「モヤモヤを形にすること」は部下としての仕事の一環ではあります。しかしながら上司が持つアウトプットのイメージは「彼が指示をするに至った経緯やその周辺情報」が含まれます。加えて言えば、経験などの差により、同じ説明を聞いても理解できない物事が上司と比べて部下には多くあります。言い換えれば、多少のイメージはあっても、”上司と部下の持つ情報量には圧倒的な差があり”ます。でも、アホな上司は能力がない/或いは怠惰であるために、部下に伝えるべき情報を伝えることが出来ない。

 

加えて情報量や経験の差があるため、上司にとっては部下を適当なことばで丸め込みやすい。しょうもない一般論で会議を丸めれば、部下としては「あぁそうかもしれません(ケド、そうはいってもどうすりゃいいのか...)」的なリアクションをせざるを得なくなることが多いです。不満を正確に口に出すことは結構、難しいです。更に自己主張の弱いといわれる日本人の気質も相まってこうなりがちです。このため、上司自身もそうだったのかとも思いますが、「わかりません」とあまり反論されることがなかったのかと思います。

 

同じ部署に長くいれば、相応に蓄積される情報もあるために、上司が何を考えているかはだいぶわかる様になり、差し戻しも少なくなります。しかし私の経験上、業務履歴にかかわらず、指示には全く差がなかった。相変わらず「適当でモヤモヤとした指示」が飛び、スケジュールが詰まると煽られ、自社の他部署の前や他社の前で私や同僚が責められる構図は一緒でした。付き合いも後半になるとだいぶ怒られることも減りましたが、相変わらず「鬱陶しかった」。

 

 こういうケースでは、私は直接、上司の上司に根回しに行くようにしました「根回し」は大切です。誰が決定権を持ち、どんな人の意見を抽出しなければいけないのか、会議で反論してくるのは誰か/どんな反論が予想されるのか...意思決定に至るまでに想定される障壁をリストアップし、もれなく調整し、最適な判断を行うために理論武装をするとともに判断の味方をつけておく。もちろん、何らかの形で記録を取ることが出来るのであればそうします。そして、「だってxxさんが言ってたんですもん/だって言ったじゃないっすか、ホラ」とか言って、上司が変な指示を出すことを/保身に走って翻意することを防ぐ。

 

結構大変ですが、良い経験になるかもしれません。コンサルティングファームに入った直後に入ったプロジェクトで一つ褒められたこがあったのですが、それは「必要な人との会議などを事前に調整してくれたので、一緒にやっていて仕事が進めやすかった」ということでした。コレ、根回しをしてきた経験によるものかもしれません。逆に、結構が経験が上の人でもできないのかもな、とか最近思います。

 

もう少し、こうした上司を分析してみると、こうしたケースを引き起こす上司は「能力はないのに出世欲はやたら高い」ひとに典型的だと思います。自分は経験したことがないのでわからないのですが、”バブル”を経験された人に中には、「上から言われたことをそのまま聞く単純作業」で高給を得ることが出来た人が居るのでしょうか(偏見で不快な思いをされたらごめんなさい)。そういえば、「やっただけ残業代が出る」時代だったのでしょうか。その名残りなのか「お金の使い方にはやたら詳しく、仕事の能力が低い」。そんな人が「お金を使うことにだけは慣れているから」か高給を得ようとして役職を渇望し、実力をつけることを忘れて権謀術数に走る。そしてちょっと出世して部下をダメにする。もちろん素晴らしい上司もいる反面、そういった全力で除外すべきと思われる人が多くいます。

 

もしかしたら、部下を溺れさせておいて自力で這い上がらせ、這い上がったら這い上がったで、「自分の指導のお陰です」とか言ってしまうのでしょうか。ちなみにそうした上司との目標設定面接における指導も、仕事の指示と同様に曖昧で全く参考になりませんでした。覚えてもいません。嫌ですね。

 

 

 ③感情が社内判断に加わる/感情を抑えることが出来ない⇒笑顔で根回しして、少し媚びを売りまょう

 

ビジネスをするにあたって、最も排除したいものは感情だと思います。どうしても入ってきてしまうものですが、時に目を曇らせ判断を危うくします。願わくば、自分・他人のレビューを通じて、考えが偏っていないか・客観的かということを洗練していき、会社の判断として質を高めていくことが望ましいと考えています。感情は取り除けないとしても、客観的で成功する確率の高い判断を探求するというのは、人の上に立つ人間の責務だと思います。

 

しかしながら、こういった発想なく「思い込んだら聞かない」人がいます。人は年齢を重ねると頑固になるといいますし、他人の話を聞けなくなるとも言います。しかしそれを上に立つ人間が...まさか事業判断にあたって...という感じですが、あります。独りだけじゃないです。何人もいました。白状すると、私も感情に流されやすいところがあります。だからこそ、レビューは大事だなと思いますし客観的になれるように腐心もしています。

 

つまり、”人間は感情の動物(デール・カーネギー)”ということです。でも、上司の自己保身・自己都合・好き嫌い・出世欲...そんなのに巻き込まれると、たまったもんじゃぁないですよね。

 

じゃぁそんなアホ臭さに対してどうしてきたかというとやはり根回しです。冒頭、媚びを売る、という嫌な言葉を使いましたが、具体的には嫌らしいことではなくて、「教えを請う姿勢でいく」ことです。そして、「教えてください。aaという判断の根拠はどういう考えなのでしょうか?あぁ、知りませんでした、ありがとうございました!」といって帰っていく。でも、帰る前に、「xxxという考え方はわかりました。しかし、yyyというデータもあるんですが(データを準備してくださいね)、どう思いますか?」と、その人の意見と食い違うデータがあることをインプットしてジャブを打つ。そうすると多分反論されますが、でもその反論を持ち帰り、論破出来そうな答えをもってまた聞きに行く。この繰り返しです。そうすると、だんだん意見がまろやかになってくる。阿呆くさいといえばそうですが、そんなものの様な気もします。自分の意見を変えることはどんな人にとっても難しく、まして上席に行けば行くほどそうなります。だから、何度も何度もジャブを打つ。そして同時に「自分の意見が間違っているかもしれない」という客観性も忘れてはいけません。

 

別に、知らなかったことを教えてもらいに行くので、ウソでお世辞を言うワケではないです。若さを生かして丁寧な態度で「教えてもらう」姿勢で行けば、たいていの人は嫌になりません。あたかも、うまく媚びを売れた様に相手の心を開くことが出来ます。

 

逆に「会議一発で通そう」と考えている人が結構いました。振り返って下手だなぁと思います。その結果、その人は「なんでわかんないんだ、アホか!」とか陰で言っていました。これは経験則ですが、会議の場では客観的なデータよりもその場の体裁や保身などが判断の根拠となることが多い気がします。その場で見せられたデータを客観的かつ正確に全て理解できるほど人間の頭は良くないですし、また皆の前では恥をかきたくないものです。だから、事前に丁寧にデータを基に自分の考えを説明し、相手に理解させる。即ち、味方に引き入れる努力≒根回しが必要だと思います。相手にわかってもらえないのは、それが正しくないか、説明の仕方が悪いからです。少なくても、そういう姿勢であれば客観的に近い位置にいられると思います。

 

ついでに、「アホか!」と言っていた人は上司でもあったので最悪でした。部下としては、上司同士が「アホか」とか言い合っていると、どうでも良くなってしまいます。「アホかお前らは」とか陰口を言いつつ。。。

 

最後に特効薬を…

アホな上司に当たったらどうしましょうか。それは今まで説明した通り「全力で逃げる」、或いは「自分で学ぶ」「根回しをすること」ことが私なりの見解です。

 

そして、その会社・部署に残る判断をした場合。無駄に追い詰められたり理不尽でどうしようもない指摘をしてきた時のTipsをお伝えします。

 

それは、「あぁ、アホがニャンニャンまた鳴いている」と思って聞くこと、です。なんかのブログで拝見してこれは秀逸だと思ったのですが、「ニャン」と語尾とかにつけてあげると本当に効果的です。

 

上司の指摘「何なんだこの資料は!さっきこういったじゃないか!(モヤモヤモヤな感じの指示の通り)作り直せ!!」⇒「ニャンニャンだこの資料は!さっきこういったじゃニャイか!ニャンとか作り直すんだニャン」という具合に。

 

苛立ちも吹き飛びます。むしろニヤニヤしちゃいます。私猫好きなんです。猫アレルギーの方とかは工夫してください。

 

いずれにせよ「なぜ上司が詰めてくるのか」がわかっていると、変に自分を追い詰めることもなくなり、具体的な手段を取ることが出来る様になります。そうすると気持ちが楽になります。

 

苦しんでいる方の何らかのヒントになるといいなと思います。そして、自分が上司になったときはそんなことにならないように。「まず初めに」で書いた通り逃げるべき時は全力で逃げ、頑張りどころでは頑張りましょう。

 

※下記を参考に書いています。””の箇所は引用箇所です。とてもいい本だと思いますので、是非手に取ってみてください。

 

世界基準の上司

世界基準の上司

 

 

 

 

 

 

 

英検準一級のすすめ_10時間で受かる勉強方法

英語 ビジネススキルアップ

英検準一級に受かりました。世間一般的なインパクトはないかもしれない。でも実用的で、ビジネスに役立つ。以前、そんな記事を書きました。

 

未だにそう思います。

そこで、せっかくだからどの様な勉強をしたか書いてみようという気になりました。

どなたかのお役に立てば嬉しいです。

 

レベル合わせ

まず、私の英語力について書いておきますね。

 

私は準備期間約一か月、勉強時間10時間程度の勉強で受かりました。でももちろん才能があったからではなく、普段から使っていた・今までの勉強の積み重ねがあるからです。それ故に英検の勉強がビジネスに役立つ、といえるとも思います。

 

ご自身の勉強頻度やベンチマークと比較し、勉強の強弱をつけてもらえると参考にしやすいのかな、と思います。

 

私のベンチマークを挙げておくと、以下の様なところです。

  • TOEICは900点チョイ
  • 日常会話ならまぁ不便はない(でも言い淀んだり、表現が稚拙だな、と後悔すること多い)
  • 仕事で10社付き合うがあるとして、そのうち1社とのやり取りが英語、程度の使用頻度
  • 仕事上、契約交渉・その他の調整(飲み会とか、うちあわせとか)で使用
  • 普段から、暇つぶしにアプリ(iknowというもの)やweblioの単語テストで勉強しています。一日30分程度でしょうか
  • 留学や英会話に行った経験はなし
  • 大学・大学院では論文を読んでいた(Readingは得意)

  

参考書籍は、下記、植田一三さんのものです。

英検準1級100時間大特訓(CD BOOK)

  

時間は概算です。そこはご容赦を。では、具体的な方法を書いていきますね。

  1. 単語・熟語の勉強方法(4時間)
  2. リーディング勉強(2時間)
  3. ライティング(2時間)
  4. リスニング勉強(2時間)
  5. 二次試験:インタビュー練習(10分←m(__)m)
 

 1. 単語・熟語の勉強方法(4時間)

この点を一番、勉強しました。一般的に英検は、「単語・熟語のハードルが高い」、と言われています。

 

結果として、単語・熟語はほぼ満点を取ることができました(1問間違い)。そして、使える表現の拡大という意味で単語・熟語が最も役に立つ、と感じています。

 

やり方としてはまず本を買って即刻すべて読み、知っている単語を塗りつぶしていきました(2時間)。そして、知らない単語だけを何度も見る。時間を取ってみるのではなく、昼休みに5分とか。あとは通勤時間に、単語のフレーズを繰り返し聞いていました。

  •  2時間:知らない単語のピックアップ
  • 120分≒5分×20日+α(1ヶ月ちょいで働いた日数、ってことにしましょう)

 

「ちょこちょこ繰り返し」、というのが私的に一番楽ですし、時間も確保しやすい。 

また「エビングハウス忘却曲線」とか よく言われますが、「繰り返し見ることで記憶に定着しやすい」です。

 

色々とやることがある中で時間を確保し、ストレスなく勉強するためには、細かな時間で繰り返し読む勉強法が理にかなっているのではないかと思います。

 

2. リーディング勉強(2時間)

割愛します。

 

学生時代の積み重ねなどで読むことは比較的得意なため、特別に意識的な勉強をしておらず、あまり参考にはならないと思うためです。テキストを一通り解いたぐらいです。1問間違えてしまいましたが、他はすべて合っていました。テキストを解いているときも、ほとんど間違えなかったので、大丈夫と思っていました。

 

あえて言うなら、時間が充分あると思われるので、TOEICの様な”解き方対策”は不要だと思います。

3. ライティング(2時間)

簡潔に、文字制限(100語)内で自分の回答を求める力が必要です。

 

”学校を出た後、両親と住む人の数は将来増えると思うか?(2016年第一回)”という様な問題が出ます。これに対して、「そう思います/思いません。なぜなら...」ということを述べる必要があります。

 

行ったことは、以下の3点です。

使いそうな応答・接続詞・その他表現(特に副詞)を見直しておくこと。文のつなぎに苦労すると、時間とストレスを食います。②の例であげてみますね。

 

Yes /  No、或いは、25%/50%/75%賛成/反対、なぜならば...という論理構成に慣れること。

 

これは、英語で文章を書く際に、非常に役に立ちます。英文構成の基本と言ってもいいかもしれません。 逆に、英語が苦手な多くの人は、この構成に慣れていません。それ故に稚拙・不自然な印象を与える文章を作ってしまいます。

上記した問題例で言えば、以下の様なことを英語で構成立てる必要があります。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『日本に限って言えば大体そうだと思います(Basically Yes≒75%Yes〉。

 

なぜなら(brecause/as/ as the(a) result)日本は核家族化社会が進んだと言われており、大人数で家族を構成しない傾向が強くなってきました。

そして(in addition to that /// meanwhile )近年は、携帯料金や増税により出費が増大する一方、経済成長が思う様に行かず、賃金の上昇は期待できない状況にあります。このため(, which cause/which lead(s)/resulting in :*接続詞が出尽くしたとき、関係代名詞とか現在分詞の副詞用法を使うと便利です )、賃貸に支払う余裕は大きくないと思います。

 

従って(therfore/(hence)/in conclusion/the above is ...)、親元に残るという選択が今後増えていく可能性は、ずいぶん妥当な考えだと思います』

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

③100字で解答するための練習をする。私の場合は、長く書きすぎてしまう傾向がありました。個人によって、うまくいかない傾向は異なると思いますが、その特徴をつかみ、修正することが必要です。

 

また、「あくまで英語のテスト」ということを念頭に置く必要があります。

 

長くなりがちな人(=私)にありがちな気がしますが、結論を支持する根拠を詳細・正確に記載する傾向があるのではないでしょうか。しかし、根拠は結論を支持してさえいればOKです。言い換えると論理構成さえ整っていればよいです。二次試験に小学生が居ました。小学生でもWritingに通る。すなわち、学術的•歴史的etc...な背景などは求められない、といってもいいと思います。(どうしよう、彼が天才だったら。。。)

 

上の回答例で言うと、"経済成長が思うようにいかない根拠"を書きたくなりますが、ここは英語のテスト割り切る必要があります。

 

文字制限的に書けるのは"最近報道されるように経済成長が滞っている"、程度で、オッケーです。というか、それ以上書けない。黒田総裁のゼロ金利政策は…とか、トランプ政権に伴うTPP施策変更の影響で…とか書いてるとドツボにハマります。カッコよく書けたらカッコイイですが、別のところで活かすことをお勧めします。

英語のテストと割り切り、簡潔に論理を構築する練習が必要です。配点も大きいし。

  

4. リスニング勉強(2時間)

Writing・Readingが得意な反面、私は苦手なのですよね。点数も合格者平均以下でした。

 

勉強法として、テスト問題を一通り読み、通勤中に聞き流していた程度です。あまり参考にならなそうなので、こちらも割愛させていただきます。 あえていうなら、苦手だから切っちゃうこと。でしょうか。合格点取れればいいんですから。一般的に、完璧主義は何事にもヨクナイ、とよく言われます。テストもそうだと思います。

 

それでも、間違えの訂正と繰り返しを行うことでボキャブラリーをあげ、自分のリスニング力向上の一助にはなった気がします。

 

5. 二次試験:インタビュー練習(10分)

試験内容は以下の通りで、これを10分程度で行います。一次試験突破者の7割受かるといいます。3割落ちる。結構、不安になりますね。

  • 簡単な自己紹介
  • 4コマ漫画を1分見て。これをナレーションする
  • 漫画に関する質疑1問
  • 関係ない質問3問(日本の人口は今後増加すると思うか、の様な質問)

 私は前日にテストの形式を見ただけ。成績も結構、ギリギリ。あまり偉そうに言えません。待合室で、1時間前後待たされるので(これは人によると思います)、これを活用して勉強しても良いかもしれません。

 

でも、求められることとして、以下の3点が重要である様に思います。これは、上記したWritingで充分鍛えられます。

  • ストーリーを論理的にまとめる力/そのための語彙
  • 聞かれた質問に対して、簡潔・論理的に自分の意見をまとめる力
  • 一般教養を問われる質問に対して、周辺知識とそれをもとに解答を論理武装するため力

 

ライディングと似ていますが、”人口は今後、増加すると思うか?”と聞かれたことにに対して、「はい/いいえ/一概には言えません」⇒「なぜならば、、、、だからです」という論理構成を頭の中で組み立て、英語で説明する必要があります。

 

合格するためには、その解答がはい/いいえでも、わからない、でも良いのですが、その根拠を示し、一瞬で論理構成を構築していく必要があります。

 

例)

「いいえ、 なぜなら、近年の少子化は留まることを知らず、小学校の統廃合が進んでいる状況を考えると、減っていくと思う」

「はい、 医療の充実が進んでおり、近い将来、疾患が原因で早逝する方が減ると想定されるから、増えていくと思う」

「一概には言えない。減る要素としては...があり、一方で、人口が増える要素として...がある。この二つのバランスがどうなるかは予測できず、このため、一概に言えないと考える」

 

この勉強は、仕事でとても役に立ちます。というか、仕事の基本です。

 

二次試験の勉強こそしていませんが、普段気にしていた下記のことが役に立ったのだと思います。

 

  • ライティングの勉強(英検&普段の仕事のメールのやり取り)で、論理構成を組み立てるトレーニングをしたこと。
  • ビジネスで交渉をしてきたこと:「その条件は飲めない/なぜなら。。。」みたいな説明はとてもよくしていました。というか、言語を問わずにどんな仕事で必要不可欠です。

 逆に、この勉強をすることで、英検にパスする力が身に着けられるのかと思います。

 

 

 

ということで…

やっぱ、受けとくといいんじゃないでしょうか。英検準一級。

会社でTOEICの点数を昇進基準にするよりは、ずっといいと思うなー。

課長になるのに700点とか、下手すると560点とか聞きます。屁の役にも立たないんじゃないかな。

 

母親が癌に侵され、死が近い時に思うこと③

まだ、母は生きており、こうして記録を書くことが出来ます。

以前から、お伝えしているものの続きを書きます。 

 

母親が癌に侵され、死が近い時に思うこと -

母親が癌に侵され、死が近い時に思うこと② -

 

考え様によっては、本当に幸せなことなのかな、とも思います。いきなり肉親の死を伝えられる方も珍しくない中、余命宣告を受けてから、2年以上も生きていてくれている。 

 

どうしてそんなに生きたいのか

  • 1年寿命が15%と言われてから、既に2年半近くの歳月が経ちます。
  • 具合が悪くなり、もって1-2か月と言われ、それから2か月目になります。
  • 救急車で搬送され、「今日かもしれないし、来週かも知れない」そういわれてから、3週間が経ちます。

それでも、生きてくれている。。。

 何が、そんなに母の生きる気力になるのでしょうか?

決っして、裕福でもなく、金銭的に恵まれているわけでもない。

 

家はボロボロ、服も何年前に買ったものを着ているのか、わからない。もちろん、近所のスーパー高で買ってきたような、ユニクロかそれ以下の値段の服。

 

子供はみな、言うことを聞かない。

めったに帰らない。

 

今、私が想像できる範囲では、母が何を面白いと思っているのか、想像がつかない。 

皆が自分と同じと思ってはいけない

先日、とある人の話を聞く機会があり、そんな言葉を聞きました。

「自分はそうだと思い込んでいたことが違うことは、往々にしてある。人は、自分の考えている/考えることの出来る範疇に物事を収めようとする」

ふと、そうかもな、と思うことがありました。

 

人づての話なので、詳しくは分からないのですが、アキバ文化を広げたある社長は、まったくもってアキバ文化に興味がないとか。

 

「アイツラがなぜ興味を持っているのかわかんないけど、どうも売れそう」

 

で、成功したそうです。

 

経済的自由、高学歴とか、高収入とか、大手企業に入るとかは、相応に幸せを運んでくれる。多くの人は、そう思っています。私も、多くの人はそう思っている様に思えてしまいます。

 

でも、母は違った様でした。

 

今もまた、私には幸せの要素が見えない毎日の中、私の理解できない幸せを感じて、毎日を生きているのだと思います。よくわからないけど、理解できないけど、それで幸せなら、そうしてほしいと思います。

 

今際の際に、¥3000の花束が高い

飲むことも、食べることもできない。

食べることは愚か、水を飲んでも吐いてしまう状態にいる母。

何もできることはない中、せめて目は見えるので、週末に花束を病室に持って生きました。

 

「良い花束。いくらしたの?¥1000じゃ買えないでしょ?」と。

値段を伝えると、「お金の使い方が間違っている!」と怒られました。

 

そして、家賃の話になり、「東京で7万円だって高いのに、それ以上なんて。。。何を考えているの?」となり、

「私がずっと個室にいるのは高い、もったいない。隣の病室が空いているか見てきて!」と言われました。

 

所謂有名な大学を出て、

願う人誰もが就くことが出来るわけじゃない仕事をしている私。

同世代の多くの人よりも高い年収を頂いているのに、7万円の家賃が高い?

 

今際の際に、病室の値段が高いことを気にするの?

もう、聞いていると思うけど、いつ死ぬか、わからないんだよ。

もう、余命宣告の期間はとっくに過ぎているんだよ。

 

それでも、数千円の花束が高いの?

お金を理由に、個室を嫌がるの??

 

雑巾の様な手触りの下着を着る母。

かたや、1万円以上の服を買う私。

 

こうやってお金をねん出してくれてきたのでしょうか。

戦中生まれ、戦後育ちの母の金銭感覚と、私のそれはだいぶ異なるのでしょう。

まして、経済的に成功した訳でもないため、お互いが理解できる範囲を超えているのでしょうか。

 

きっと5倍以上の値段の服を着た私に、奨学金の返済金をあげようか?とまで言われてしまいました。

 

そんなことより、何かお金で買えるもので幸せを少しでも感じてくれたら、私もうれしいのですが。。。

 

私が喜ぶだろうと思ったものを母は喜ばない。私がほしいモノを母は与えることが出来ない

小さい頃から、両親とは話が合いませんでした。

 

家にいることは幸せではありませんでした。「xxxがしたい」ということはたいてい、反対されてしまったのが、心に引っかかっていたせいだと思います。

  • 塾に行きたい
  • 携帯電話がほしい
  • 部活の合宿に行きたい
  • 部活を続けたい
  • 勉強がしたい
  • 勉強部屋にクーラーがほしい
  • 大学に行きたい
  • 名門と呼ばれる大学を蹴りたい
  • 大学院に行きたい

多分、結構多くの親御さんであれば、認めてくれたことではないでしょうか。優秀とは思わないですが、我慢強い方で、上位5%ぐらいの成績に居て、主席を取ったこともあるぐらいで、成績は悪くなかった。

 

わがままと言われればそれまでだけど、でも、同世代の多くの人が親にしてもらうこと/許してもらうことを、私は涙を流さなければいけなかった。相対的貧困とか、そういわれるものなのかもしれません。頑張っても認めてもらえない。人生の邪魔を親にされている様で、居心地がずっと悪かった。

 

私はずっと、「普通になりたかった」のだな、と思います。

結局ずっと、「変なひと、変わったひと」と言われてしまいますが...

 

お互い、相手が幸せだろうな、と思う感覚がずれている。非常に。別れの間際になっても、それは解消できませんでした。

 

悲しいことじゃないかもしれない

でも、悲しいことなのかな?と思うと、そうでもない様な気がします。

 

確かに、理解し合えない。家に帰ることが面白くない、楽しみではなかったということは、嬉しいことではないかもしれません。

 

でも、私は無償の愛ってものを、なんだかんだ受け取っていた様に思います。

 

私が中学生ぐらいのある日、母が外出して喫茶店に寄り、1000円札がなく、友人の母にお金を借りたことがありました。私はあまりに恥ずかしくて、癇癪を起した記憶があります。

 

でも、そんなしみったれたことを恥ずかしいと思うこともなく続け、子どものためにお金を貯めるために、使わずにいてくれた。同世代の母よりは10歳ぐらいは年上でしたでしょうか。少なからぬ同調圧力はあったように思います。

 

でも、子どものために使うお金を第一に考えて、お金を遣わずにいてくれた。確かに恥ずかしい思いをすることは多かったし、嫌だった。でも、それ以上はなかった。

 

そんなお陰でなんだかんだ、大学院まで行くことが出来た。働き、衣食住足る生活を送ることができている。これらは、3000円の花束を死ぬ間際に「高い!」と怒る経済感覚の上に成り立っていた様に思います。

 

わかり易く「欲しい」と思うものは、中々、与えてもらうことはなかった。でも、母は自分の贅沢を捨てて、私や兄弟に捧げてくれた様でした。最低限だけど絶対に必要なものは与えてくれた。おかげで何とか今、生きている。

 

逆に、母が幸せだと思う目に見えるモノを、私は与えてあげることはできませんでした。どうやら、望んでいる結婚も、見せてあげることが間に合わないでしょう。自分の人生への投資だという思いがあるため、家賃7万円以下のアパートに住む気は今のところないし、他人が汚いとか安っぽいと思う服装をしないように気を付けることは変わらないでしょう。

 

お互い、死ぬまで、理解し合えない。でも、最低限の愛だけは30年ぶっ続けて持っていてくれた。

 

そんなことに気が付くことが出来た。それはまた、幸せなことなのかもしれません。

母親が癌に侵され、死が近い時に思うこと②

以前、同じタイトルで記事を書きました。

 

誰もが避けられない事実。その時の誰かの考え/気持ちの整理に少しでも助けになればと思って書きます。

 

先日、母は治療効果がないとのことで抗がん剤治療を止めました。その後、食事が摂れなくなりました。一週間と経たずに見た目が変わる程、急速にやせ衰えていきました。

 

話す声に張りがなくなり、吐き気が止まらず、家に帰ってもロクに話もできませんでした。カルピスウォーターを食事替わりに不味そうに飲み、今まで私の前では見せたことのない弱気な顔をしています。母は割と能天気なのですが。今までに見たことのない程、辛そうな顔をしています。

 

30年も私の親でいて、辛いことがないはずないです。でも、いつも辛くてもそんな顔をしないでいてくれたのかもしれません。

 

正視に堪えません。

 

あと何回、こんなことを書けるでしょうか。

ブログを書くより、会いに行った方が良いのかもしれません。

でも、医者でもない私には何もできない。

医者も何もできない。これは現実です。

誰にも、なにも出来ないのです。

 

神よ変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。 

 そんな言葉があります。ニーバーの祈り、というそう(Wiki.)。好きな言葉です。

 

変えることの出来ないもの。これを冷静に受け入れる力。そんな力を得られたらいいのにな。

 

そう思います。

 

でも、中々、受け入れ難いものですね。

 

何もできることはないとわかっていながら、もどかしさと歯がゆさ、悔恨が走馬灯の様に思い浮かびます。

 

他人に相談しにくい。とても。 

他人にこういった状況をオープンにすべきか。悩みの一つでした。

でも、私は先日、関わりの深い人に伝えました。

 

色々と考え方はあると思いますが、気持ちの許す限り、出来れば少し無理をしてでも、仕事の仲間、友人、恋人etc...には伝えるべきだと思います。

 

以前のブログに書きましたが、 

正解はないものの、以下の理由からシェアした方がベターだと思っています。

  • 死は日常の延長にあって、死と生活は実質的には隣り合わせ。私がそうである様に、誰もが、人の死と隣り合わせの中で生きている。だから、こうした事情を言うことは不自然なことではない。会社でもなんでも、組織や成果物はこうした私情も含めて、成り立っている
  • 黙っていても誰も気づいてくれない。誤解を生むばかり。せいぜい、他人が思うのは『なんか元気ないな』程度です。言わない限り、家庭内の事情なんて知る由もなく、誤解を生み、その結果、不幸を生みかねません。別の例ですが、ガンを患いながら働いている方が居たのですが、私は全く気付かず普通に仕事を頼んでしまい、猛烈な後悔をした覚えがあります。初めて知ったとき、『そんなの知っているかと思った/気付くよ普通』という雰囲気になりました。でも、言われなければわからないのです。特に普段話さない人は、違和感しか感じない。引き出すことも大切でしょうが、一緒に何かをしようとする人間としては、辛いとき/困難を抱えているときは、出来るだけオープンにしてほしい。客観的に困難を抱えている人を見て、強烈な悔恨と共に、そう思いました。
  • 組織として何か結果を出そうとしたとき、他人の事情は知っていた方が、お互いカバーしやすい、本人も力を出しやすい。性格にもよるのかもしれませんが、どうしても人間、辛いことがあるとふさぎこみがちになります。でも、自分の事情を知っている人が居る、ということはとても支えになります。信頼できる人だと、なお好いです。また反面、なんだかわかんないのにふさぎこまれてしまうのは、迷惑。セルフ・ハンディキャッピングは、チームメイトには迷惑でしかない。自身の仕事へのアウトプットへの責任として、オープンにすべきと考えます。こういった事情に対しては些か抵抗がある表現ですが、『気付いてよ/気遣ってよ』という心理は、幼稚である気がします

 

そして、実際に伝えたところ、やはり良かったと思います

 

サポーティブな言葉、或いは配慮をいただきました。或いは配慮してくれていることを感じて嬉しく、また、仕事上のストレスがなくなりました。

 

私の様に、考え込みがち、悩むと閉じこもりがちな性格の人間にとって、独りで悩むのは、向かない様です。まして、辛い状況を一人でやり切ろうとするべきじゃない。

 

他人に言わない理由として、「言っても迷惑だから」ということが心理的な障壁になるのかもしれません。でも、

 

  • 勇気を出して愚痴を言う
  • 思い切って状況を知ってもらう
  • 勇気をもってお願いする。

こういったことも必要ではないかと思います。自分のためにも、他人のためにも

 

関係の深い人にとっては、「なんか抱えているな」と気にすることって結構、強いストレスなのかな、とも思います。

 

実際にしてみて、改めて良い仲間、周りの人に支えられているな、と思います。

 

ただ逆に、関係が深くても信用できない人には言えないかもしれません。

例えば、以前下に就いていた嫌いな上司だったら言わないと判断したと思います。心情的に気を許せず。


やはり、とても判断が難しいことだと思います。

 

改めて伝えたいこと

いざ、死期が刻々と迫る中、何をしてあげることが出来るだろう。

もう一度改めて考えました。

 

お礼ですね。

 

これが一番、親にとって嬉しいのではないでしょうか。

そして、自分自身が、もし伝えなければ一番後悔するであろうこと。

 

そういえば、お礼を言ったっけ?

もし、そうできない状況になったら、そう考えると思います。

 

「親孝行したいときに親はいない。」と言います。

 

なぜ、親孝行したいと思うか考えてみると、親の苦労がわかり、それに感謝の念を覚え、お返しをしたくなるからだと思います。

 

要するに、お礼を言いたいのです。

 

だから、思いつく限りのお礼を伝えてみるといいと思います。

  • 父親と喧嘩したとき、守ってくれてありがとう。
  • 進路で、全く言うこと聞かなかったのに、結局サポートしてくれてありがとう。
  • 自分の贅沢は一切せず、子どものために捧げてくれてありがとう。高校生の頃から、俺の方が高い服とか靴を買っていたね。
  • 喧嘩した後も、どんな時も、ご飯つくってくれてありがとう。
  • それでも苛々して、「メシいらない」とか言ったのに、それでも尚、つくってくれてありがとう。
  • 遊んで深夜帰っても飯や身体のこと気にしてくれてありがとう。
  • 酷いこと、何度も言ったのに、それでも愛してくれてありがとう。
  • やらせたくないのに、怪我してばっかりなのに、心配しつつもラグビーさせてくれてありがとう。
  • 好き勝手、何も言うこときかずにやっているのに、心配してくれてありがとう。
  • 癌で辛いのに、ご飯作ってくれて、食べているとお茶もわざわざ出してくれて、ありがとう。

まだまだ、思い出してしまうかな。

 

親が望んだことを何もしていなくて、一般的に褒められた生き方をしていない気がします。

それでも何かしてあげたい、と思ってくれていたのでしょうか。

 

無償の愛ですね。

 

涙出てきます。

 

また書けるといいな。 

 

 

 

 

テストは出来るのに英語を使えない人に贈る2ステップ

英語 書籍感想

センター試験に始まり、名門大学合格、TOEICハイスコアetc...

 

英語の成績が良い。なのに、英語でのコミュニケーションにつまずく。そういった方をかなり見かける様な気がします。日本の大学の英語のテストは難しくてネイティブが解けない、とか言います。

 

日本人は実は、英語を知っている。でも、コミュニケーションがとれない。

 

そんなことを誰もが言って、英会話ビジネスが相変わらず興隆し(多分。広告、相変わらず盛んですもんね)、駅前でどうでも良い英会話をして帰ってくる。面白ければいいのですが、よく考えると目的に沿ってないのではないでしょうか。話している内容。振り返って、そんなことを話すために数千~万円/月を払っているのはもったいないのでは。

 

もともとテストが出来る人にとって、決して高い壁じゃないはずなのに、どうしてだろう。結構、不思議に思っていて、どうしたらこの壁を取り払えるのか、考えてきました。

 

逆に、私は留学経験なく、英会話も通ったことがないのですが、どうしてビジネスで使える様になったか-----嫌な表現ですが、多くの方と比べて英語が話せるという実感が持てるか------考えてきました。

 

そんな中、同時通訳者が教える ビジネスパーソンの英単語帳 エッセンシャル (ディスカヴァー携書)、という本を読んでいたら、珠玉の文章を見つけました。良書。内容も、その他のコラムも、タメになります。

 

これを基に、英語の苦手意識を吹き飛ばせる2ステップ、として紹介してみたいと思います。

 

 

 

Step 1: 英語は『速い』のではなく『短い』

 

上記の書籍からの表現を引用させてもらいました。名言ですね。

 

英語は速いのではなく、短い

 

だから、まとまりで覚えましょ。今回の大意を一言でいうと、コレです。

 

この意識を強く持つことで、勉強の仕方が変わります。

アナ雪のLet it goはレリゴー

の例を挙げていますが、コミュニケーションでよく使われる表現も同様です。

 

知っている。書かれればわかる。でも言われるとわかりにくい表現をカタカナにしてみると、以下の様な感じでしょうか。

 

  •  What I'd like to do is ...(ワタアイドライクトゥドゥイズ)
  • So you mean ...(ソユミィン)
  • How can I ...(ハァキャナイ)
  • Where are we ...(ウェアーウィ)
  • What's going on...(ワッゴインノン)

 

カタカナだけ言われると、!?、となりがちではないでしょうか。

 

でも、ちょいと抑揚がつくと、これがネィティブの方の発音に近い。正解とは言いませんが、学校で一語一語、発音させられるより、はるかに伝わりやすい。

 

日本の教育では、単語一つ間違えると、テストで点を引かれます。三単現のエスが、とか、前置詞とか、、、、大学に落ちないために、気を付けなければいけないことがたくさんあります。 それ自体の価値は否定しませんが、必然、単語一つ一つに、気を取られます。


でも、実際に話すと違います。日本語でもそうですが、強調すべき箇所ははっきり、或いは定型文の様なところは、サラっと流します。そうなると、『ハァキャナイ』とかなります。会話の中で重要でないところは、さらっと、短く言うことになります。

  

※読んでないですが、こんな本もあります。多分、上のカタカナよりはよく書いているはず。

 

 

Step 2: 本屋かアマゾンへ

英語は速いのではなく短い。

こう理解することで得られるメリット/理解しないことで失うものを、少し挙げてみたいと思います。

 

  • 一語一語、しっかり言っていると、聞き難い(日本人に多い)
  • 抑揚がなく、何を伝えたいかわかりにくい
  • 喋っていて、一語一語に意識が行くので、疲れる
  • 定型文を知っていると、会話が弾む
  • 同上、覚えるべき単語/聞き取るべき単語が少なくなる
  • こうなると、単語の習得速度が上がる(余計なノイズが減ると相手の言うことを理解しやすくなる)
  • こなれた感じになる(その代わり、勉強は続けてくださいね。こなれてるけど身がない話をしてしまうと、かっこ悪いので)

レリゴーとか、キャナイとか、そんな『短い英語』を、たくさん覚えると、上記の様なメリットがあります。

 

この理解の上で、じゃぁ、どうすればいいのか。

 

ちょっと眉唾なタイトルの本に手を出しましょう(著者の方々、出版社の皆様、ごめんなさい)

 

たった○○語で、、、、という様なタイトルの本です。

 

英語は地道な特訓が必要で、そう易々と習得できません。でも、短い英語をたくさん知る、という目的に関して、これらの本は良書です。

 

なぜなら、頻出表現がとてもよくまとめられているから。こういった本で、”レリゴー”や”ハァキャナイ”の様な、短くなりがちな表現を叩き込みましょう。上記を意識して読むと、確かに、たった○○語で会話が円滑になったり、聞き取りが楽になります。

 

随分前、私は下記の本を読みました。感想を思い出せないぐらい内容を忘れてしまいましたが、頻出の表現が良くまとまっていたかと思います。そのうちのかなりを使っている気がします。

  

 

たった「80単語」!読むだけで「英語脳」になる本 (知的生きかた文庫)

たった「80単語」!読むだけで「英語脳」になる本 (知的生きかた文庫)

 

  

たった「78パターン」で英語を「話す」「聞く」がすぐできる本 (知的生きかた文庫)

たった「78パターン」で英語を「話す」「聞く」がすぐできる本 (知的生きかた文庫)

 

 

  他にも同様な本をいくつか読みましたが、結構、役に立っている気がします。

 

英語は決して、たった、、、語じゃぁ話せません。でもこうした書籍は良くまとまっており、上記の意識をもって読むと、非常に良い勉強になります。

 

 

 

 

どうでしょう、この2ステップ?結構、シンプルだし、手間も少ない。その割にリターンが大きい。更に、今までの勉強が無駄にはならないのではないでしょうか。

 

ちょっと行き詰った方にとって、シンプルに英語の壁を壊すきっかけになれば嬉しいです。

 

母親が癌に侵され、死が近い時に思うこと

私の母は末期がんで、1年寿命が15%と言われています。

その後、奇跡的に2年間生きることが出来ました。

 

しかし今、投薬効果がないために投薬を打ち切ることになりました。

こうなると、数ヶ月も余命はないと言われています。

 電話越しの声は変わらないのに、数ヶ月後には、その声が聴けなくなる。

その確率が極めて高い。

 

5発の弾丸が入った拳銃が、一年かけて母親のこめかみでじわじわと引かれる。それよりも高い確率で母の死が起こる。 そんな2年間を過ごしてきました。

  

肉親の死は、いつか誰もが必ず直面する事実。

これをどう捉え乗り越えていくか。

誰もがいつか、考えなければいけないことです。

とてもつらいことです。

 

仕事に悩み、アスリートとして悩み、或いは人間関係に悩み...こうした誰もが抱える悩みと同時に、母親の死が間近にあることを感じていました。

 

どこかの誰かが考える際に、私の経験が

わずかでも助けになればと思い、書き記しておきたいと思います。

 

最初に聞いたとき

父と電話をして聞いたのが初めてだったのですが、バイクで転んだ様な感覚でした。今まで、風を切り、自分の自由のままに運転していたマシンが急に自由を失い、手元から離れる。聞き慣れない音と共に、地面に叩きつけられる。見える世界、体感している世界が変わり、その後、じわじわと痛みと後悔が沸いてくる。なぜ、もう少し早くブレーキをかけなかったのだろう。と。悪態を吐きたくなる衝動と共に、痛みが身体を襲います。

 

病態を初めて聞いたとき、耳に聞こえる父の悲痛な声が耳を通り、声を聞く感覚が変わっていく様でした。別段、言っていることが理解できない訳ではないのですが、どこか遠くで起きていることの様に。まさか、自分の身の回りにそんなことが起きるとは。日々、全く別のことで悩み、母のことを考えることなんてほとんどなかったのに。実感がわかない、という言葉がありますが、正鵠を得た表現で、身体全体が事実に馴染めずにいた様な気がします。

 

同時に、いろいろなことを考えます。仕事のこと。残された時間を何して過ごそうか、何をしてあげられるだろう。これからの両親の世話。過去の遺恨。残したこと。あぁ、まだ結婚なんて遠いや。いつ帰れるだろう。。。思考が支離滅裂になりました。

 

その後、最初に病院の母に会ったときは、涙が止まりませんでした。表現したい感情が、表現できる言語を遥かに超え、堰を切った様に涙があふれるました。自分でもなぜ涙が出るのかわからないぐらい複雑な感情が私を襲い、涙が止まらなくなった気がします。なんで泣いているのか、わからない。言葉というのは感情を表現するには極めて不足していて、それゆえに人は本を読んだり、人の話を聞いたり、或いは他人に話しをしたりして、このギャップを埋めようとするのかもしれません。

 

要するに、とても悲しかった。言葉を尽くしても表現できないぐらい。

村上春樹の小説に、『ことばで説明してもそこにあるものを正しく伝えることはできない。本当の答えというのはことばにできないもの(海辺のカフカ)』、という好きな表現があります。感情とはこういったものなのかな、と思います。

 

何をしてあげられるだろうか?

このテーマは、母の死を知った後、一番考えた気がします。

出した結論は、普通に生きること。自分の信念に従い、自分のしたいことを、或いは自分の出来ることを、日々行うこと。結果として、母親には特別に、何もしていません。

 

何が喜ぶだろうかと、ずいぶん考えました。

一番考えたのは結婚することかな、とか考え、それは結構、良い筋なのかな、と今でも思います。母親も明らかに望んでいました。『まだ嫁を連れてこないの?』と、よく言われます。

 

折しも、当時付き合っていた人がいて、別段、プロポーズをしたとかではないですが、少し気持ちが急いた付き合い方をしていました。相手も、そして自分も、まだその気持ちになっていないのに、『形として』結婚出来たら素敵だな、と、結構思っていました。形として。相手にとってはずいぶん、迷惑な話でしょうね。

 

随分、チグハグになって、理由はそれだけではないでしょうが別れることになりました。今は、これでよかったな、と思います。もしも、結婚の理由の多くを『母親が病気だから』という割合が占めたら、これは結構な不幸を生みかねない様な気がします。後押しになったとしても、理由の多くを占めるべきじゃぁない。振り返っても、お互いにとって良い判断であった様に思います。

 

仕事も、非常に苦しい時期にいました。少し、仕事の割合を減らしたり、妥協することも必要なのかな、とか考えました。でも、結局しなかった。

 

憧れのポジションにはついたものの、上司の自己保身、自己満足や自己の出世のための様な仕事に付き合うことに辟易していました。また、人間としてもビジネスパーソンとしての姿勢、人間的な価値観、美意識が違う人間と付き合うことは極めて苦痛で、ビジネスマナー/ビジネスパートナーへの態度、基礎的教養の欠如、知識を学ぶ姿勢といったことが日々癪に障り、苛立ちと辟易に心身をすり減らしていました。

 

そんな中でも、『何度も転職を繰り返すと、母親は心配するだろうな』、とか、そんなことも思いました。心配させたくないな、と。母は終身雇用全盛の頃を生きた人です。結局、転職したのですが、ずいぶんと驚かれました。

 

でも、良かったと思っています。辟易は解消され、仕事のアウトプットの質/仕事の価値を高めることを目指す環境に移ることが出来ました。日々吐いていた深いため息を、この前いつついたか思い出せないぐらい、つかなくなりました。もし、転職を思いとどまっていたら今、胃に穴が開き、精神障害を負い、生涯、何の価値も生み出せないビジネスパーソンとなっていた様に思います。

 

結果として、『母親のためを想って』やろうとしたことは、全くうまくいかなかったですが、『自分のため/自分の信念に従って』生きていくことは、うまく回り、ハッピーにつながりました。結局、それが母親にとって、形はなくても、息子としてやれる一番のことなのではないかと思います。『自分のため』が『早く結婚すること/仕事を抑えること・安定すること』であれば、それはそれでいいと思います。でも、私にとっては違かった。

 

恋人・友人問わず、大切な人がハッピーでいてくれると、私は嬉しいですが、母親としても、私がハッピーでいてくれた方が嬉しいのかな、と思います。例え体裁が悪くても。死期を間近に見栄を張ることもないですし。だから、あんまり母親のために何かしよう、と考えることはやめました

 

細かな贈り物や手伝いはしていますが、生き方を変えるようなことはしないようにしています。

 

そもそも、何をしようとか、こういった思考の期間を得ることが出来たことは、幸せなことなのかもしれません。

 

他人に相談するべきか

国柄でしょうか?或いは地域柄かもしれません。あまり、こういった事情を他人に相談している様子を見たことがありません。

 

でも、私はできるだけ他人に話した方が良いと思っています。誰にでもという訳では無いですが、機会があれば、或いは必要があれば話そうと意識しています。

 

他の国や地域の事情は分からないのですが、私の住む都心の土地柄なのか、或いは会社では、家庭の事情に対して触れることはタブーという、暗黙の了解があるような気がします。

 

人の死は『非日常』であり、死や病を日常の中に取り入れること、日常生活の話題として持ち出すことは、タブーであるという認識でしょうか。

 

加えて、アスリートが『肉親の死を乗り越えて...』といった後日談の報道がしばしあり、こういった姿勢に美意識を感じる方も多いのかもしれません。非常に嫌な言い方に聞こえるかもしれませんが、『不幸を言い訳として取っておく』心理的な判断もあるのかと思います

 

こういった心理は学問的に分類され、『怪我をしたアスリートの多くは、怪我の事実を隠して試合に臨む。負けたときの言い訳になるから』という判断の傾向があります。この傾向は、セルフ・ハンディキャッッピングと呼ばれる認知バイアス(思考や判断のクセ)と呼ばれるそうです*。何か辛い事情があるとき、それを黙っておくと、勝っても負けても『困難を乗り越え...』となり、自分を守ることが出来ます

 

当初、私も黙っていました。理由は上記をすべて足した様なところでしょうか。

 

でも、以下の理由から、少しずつオープンにする様にしました(誰彼にも、というのはどうしても、心情的にまだハードルがありますが)。

  • 死は日常の延長にあって、死と生活は実質的には隣り合わせ。私がそうである様に、誰もが、人の死と隣り合わせの中で生きている。だから、こうした事情を言うことは不自然なことではない。会社でもなんでも、組織や成果物はこうした私情も含めて、成り立っている
  • 黙っていても誰も気づいてくれない。誤解を生むばかり。せいぜい、他人が思うのは『なんか元気ないな』程度です。言わない限り、家庭内の事情なんて知る由もなく、誤解を生み、その結果、不幸を生みかねません。別の例ですが、ガンを患いながら働いている方が居たのですが、私は全く気付かず普通に仕事を頼んでしまい、猛烈な後悔をした覚えがあります。初めて知ったとき、『そんなの知っているかと思った/気付くよ普通』という雰囲気になりました。でも、言われなければわからないのです。特に普段話さない人は、違和感しか感じない。引き出すことも大切でしょうが、一緒に何かをしようとする人間としては、辛いとき/困難を抱えているときは、出来るだけオープンにしてほしい。客観的に困難を抱えている人を見て、強烈な悔恨と共に、そう思いました。
  • 組織として何か結果を出そうとしたとき、他人の事情は知っていた方が、お互いカバーしやすい、本人も力を出しやすい。性格にもよるのかもしれませんが、どうしても人間、辛いことがあるとふさぎこみがちになります。でも、自分の事情を知っている人が居る、ということはとても支えになります。信頼できる人だと、なお好いです。また反面、なんだかわかんないのにふさぎこまれてしまうのは、迷惑。セルフ・ハンディキャッピングは、チームメイトには迷惑でしかない。自身の仕事へのアウトプットへの責任として、オープンにすべきと考えます。こういった事情に対しては些か抵抗がある表現ですが、『気付いてよ/気遣ってよ』という心理は、幼稚である気がします

打ち明けることが得意でない方にとって、困難であることは重々わかります。でも、上記ご参考に、少しずつでも、オープンにすることを薦めたいと思います。

 

*自分では気づかない、ココロの盲点 完全版 本当の自分を知る練習問題80 (ブルーバックス)

 

少し、こんなところで。

気持ちが向いたら、また書いてみたいと思います。

 

わずかでも誰かの助けになれば、幸甚この上ありません。

 

 

成長をキーワードに本を2冊読んでみた_ビジネスプロフェッショナルとトップアスリートに共通する成長の本質

書籍感想

昨今、特別に成長することを意識した訳ではないのですが、やはり成長する、ということは常に心掛けたいと思っています。

 

そんなことを30年間ぐらい思ってたら、たまたま、成長に関する本が2冊、先月ほぼ同時期に発売されました。

 

成長思考--心の壁を打ち破る7つのアクション(赤羽雄二)

限界の正体 自分の見えない檻から抜け出す法為末大

お二人とも、好きな著者なので、共にお勧めできる本。

 

ビジネスプロフェッショナルと、(元)プロアスリート。

世界No.1の頭脳集団で活躍し続けたビジネスパーソンと、

世界の頂上で争いを続けたトップアスリート。

多分毎日14時間以上、時に土日をつぶして、アウトプットを出し続けた方。

かたや、1分に満たない時間の中で、コンマ数秒を競い、戦ってきた人。

 

毛色の違う世界。

アウトプットの形も、アプローチも、全く異なる二人。

 

そんな二人でも、 共通するところが多いです。

7/20と7/27に出版されたのに、すごく似てるように見えます。(剽窃とかいう意味ではなく)

 

成長することを考え続けた二人。

 

この二人の共通する事項って、成長のプロセスの本質を突いているのかな、と思い、まとめてみます。

 

共通すること

それぞれの書籍に、それぞれの金言があり、

いずれも素晴らしい本だと思いますが、共通するところをまとめてみたいと思います。

 

多少表現は異なりますが、共通する事項として

 

①意図的に変化を起こす/あらゆる工夫をする

②目標を下げる・大きな目標を持ない/達成できる目の前の課題・目標を達成することを繰り返す

③自信を持つ/そのためにあらゆる手段を考える

 

があげられるかと思います。この2冊を読んでいま、私自身も心掛けていることです。

 

 

①意図的に変化を起こす/あらゆる工夫をする

為末大さんいわく、変化を取り入れることがタイセツ。成長は、努力の延長にあるのではなく、ふとした拍子に、壁を乗り越えることが多いそうです。

 

自分がとどまっていた枠の中をふと乗り越えたとき。

 

例えとして、”小さい頃に鎖につながれた子ゾウが大人になっても鎖を切らないことや、水槽を透明な壁でエサの小魚を隔てると、壁を取ってもエサを取る気がなくなる。でも、ふとした拍子に鎖が切れる/餌をとれることがわかると、鎖を切り逃げ、エサを捕る。これと成長することの感覚が似ている"、そうです。

 

こうしたふとした拍子を作るために、変化を起こし続けることが大事といいます。

 

この変化のために、以下の様なことを言っています。

スケジュールや目標を変化させる。

練習メニューもいろいろやってみる。工夫してみる

時には他人の話をときには100%聞く/時には他人の話は全部聞かない 

 

そうかも。良いかも。また、反対に、

反復練習には自己陶酔の様な落とし穴がある

 という様なことも言っています。これもそうかも。自分を満足させるだけで、まったく伸びない。結構、ありがちですね。

 

赤羽さんも、工夫の鬼。

なぜ成長しないのか、どんな時に成長したのか。

どうすれば成長するのか。。。。そんなことをひたすら考え続け、メモ書き/仕事上のあらゆる工夫・・・そんな工夫を数多生み出し、この1年に6冊も本を出したそうです。

 

尋常じゃないですね。きっと、それだけのノウハウを蓄積するまでに、成長、成果を出すために工夫を積みかさねてこられたのだろう思い、頭が下がります。

 

②目標を下げる・大きな目標を持ない/達成できる目の前の課題・目標を達成することを繰り返す

 

『目標を下げる』この表現を聞いたこと、ありますか?まして、成長を促す書籍で。

 

私もかなりハッとした表現でした。

 

成長思考というタイトルの本で、潔くこの表現を使われていて、でも非常に合理的です。実は私もこれを受け、目標を下げて、英検準一級を取ったのです(上梓前にお話を聞く機会があり、同じことを言っていました)。

 

そしたら、少しハッピーになりました。

 

それまでは、『英検一級取りたい。難い。2時間/dayでは追いつかない。でも上司がマジ無理。平日は愚か、土日寝込むレベルで毎日ストレス(本当)。英語どころかビジネスパーソンとしてのスキルも微塵も上がらない』という日々から、解放されました。

 

日々の目標を高く立てがちだった私は、結構、到達できずにふ塞ぎ込みがちだったのです。でも、この言葉を聞き、ずいぶん、楽になりました。精神的に自傷行為を繰り返していても仕方ないのに、結構、繰り返してしまいがちだったのですよね。

 

でも、こういう人は、相当いるんじゃないかと思います。特に、日本人的な性格にありがちな気がします。

 

為末さんも同様なことを言っています。

目標には下方修正すべきときがある。高すぎる目標は体を固くし、パフォーマンスを下げる。また、自信も失う。 

あまり大きな目標を立てないこと。目の前にある出来ることをこなしていくこと。実は、オリンピックのメダリストは小さい頃からメダリストを目指している人は少ない。

とも。確かに、高すぎる目標を掲げ、達成できないことが続くと、ポジティブでいることは難しくなります。

 

小さいころから、大きな夢を目指している人が必ずしも成功を収めていない、というのは面白いです。

 

私も30超えますので、結構、小さい頃の友人を見ていますが、そうかもしれません。いや。そうだな。そういう傾向が見て取れます。

 

プロ野球選手になる、と言っていた友人は沢山いましたが、だいたい、高校より前でやめました。『プロになりたい』、のプの字も聞いたことない友人が1人、Jリーガーになっています。金持ちが行きたがる私大に行く!(ただし成績は別に良くない)と言っていた人が、平均的な私立大学に行き、勉強する気あったのかわかんない人が、医学部に行って、どっかの外国で偉いことしてます。結構、わかんないもんです。

 

志って、たいていは折れるのかも。

そして、たいてい折れるが故に、折れない人を神格化して、ありがたがっているのかも。そう思います。

 

もう折れそうな心を/志を何とか支えるために、志の高い人を敬い、ありがたがる。。そうやって自分を追い詰めて、苦しくなっていく。そして酷くなると、自分をかわいそうに思い、誰かに慰めてほしくなって、かまってちゃんになっていく。

 

そんな迷惑な志なら、ちょいと目標(≒志)を下げて、ちょとずつ毎日積み重ねられるものにしていった方がいいのかなと思います。

 

そりゃ、たまには折れない人もいるのかもしれません。確率的には。

 

でも、実際はそう見せている/見せたがっているだけのことが多い気もします。報道する側としてはキレイなストーリーを見せたいし、報道される側も見栄を張りたい。成功している人って、別に志は高くなくって、偶然と日々のちょこちょこの努力を積み重ねただけなのかも。

 

またまた素晴らしい記録をやってくれたイチローだって、”小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています”とのこと。

 

 あんま無茶な目標を持つのも考えモノだと思います。

 

 

③自信を持つ/そのためにあらゆる手段を考える

結構、二人の著者に共通していると思うのは、

日本人特有の性質の中に、成長を妨げる要因があることに言及しています。

 

日本人の悪徳を言語化すると以下の様な感じでしょうか。

 

  • ステレオタイプにとらわれる。反復練習が好き。⇒方法に正解があると思い込み、やり方を工夫しないで、意味のないことを繰り返す。
  • 完璧主義/目標完遂を美徳とする⇒変化を敬遠し、こだわる必要のないところにこだわり、本質から外れ、心を壊す。
  • 自信家を敬遠する/ネガティブを迎合する、ネガティブなことを言うと、周りが構ってくれるような気がする。ネガティブで頑張っている奴を応援する⇒成長意欲を失う

 

1点目と2点目はそれぞれ、上記した通りが解決の手立てとなるのではないでしょうか。

 

そして、3点目。これも結構、日本人的ですよね。

 

知人に、人生で見た人間の中で、最も想像力と理解力、人間性が欠ける自信家が居ます。半日でできるExcelの計算を半月かけ、2つ目のプロジェクトが入ると、文句しか垂れなくなり、仕事が全く進まなくなります。このク○野郎、ってやつです。

 

でも、なんでか知らないけれど、給料良いらしいのですよね。社内の誰もが疑問を持つ評価。彼を肯定する気は全くないですし、『上司は阿保なんだ』以外の感想は持ちえません。ですが、自信はそれだけ強力、といえるのかもしれません。

 

思うに彼は、積み重ねの閾値が猛烈に低いためか、わずかな進歩でも、自信になるのではないでしょうか。『あぁ、今日もメール一報打って電話した!大変だった!!(もうExcelなんていじれない。でもよく頑張った俺、仕事出来る!!!)』と自信を持てちゃう。

 

見ていると苛々するだけですが、もしかしたら、日々積み重ねていることに自信が持てないことも、同じぐらい、ヨクナイのかもしれません。

 

”日本人”の性格を一言で言うと、成長する勇気がない様にも見て取れます。何か変化を起こすことが怖い。皆で足を引っ張りあい、同じところにとどまることを良しとする印象があり、それが成長を妨げる。以前ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」 (講談社+α新書)を読んだ感想で、似たようなことを書きましたが、非常に日本人的な考えかただと思います。

それ、つまらないですよね。

 

猛烈に低い閾値を設定することは、自分の檻を破る一打にはなりえません。でも、少し手首しびれるかも。でも、そんなに痛くないかも、という一打を日々、自分を閉じ込めてるかもしれない檻に浴びせ続ける。出来るだけ細いところから。ちょっと曲がりそうなところから。角度を変えて、工夫して、日々、ちょっとずつ。あ、ちょっと曲がった、ということに成長を感じながら、それを繰り返す。そんな日々が続くと、日々、ちょっと良くなるかもしれません。

 

昨日より、ちょっとよくしよう。そうするために、全力で工夫をする。

それでいいんじゃないでしょうか。