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サイエンティスト・事業戦略担当・コンサルタントとして、企業の課題解決に取り組んできました。気ままにですが、参考になりそうなことを書いていければと考えています。コメントをいただけると嬉しいです。

ロジックとカン、ビジネスでどっちが正しいんだろう_思うこと5つ

ビジネススキルアップ サイエンス

ある事業を進めるか否か、判断する仕事をしていると悩ませられること。

以下の2つの様なことがある様に思います。

正しいと思うのに、他人を説得するに至るまで論理を組み立て切れない
”カン+権力”で意見を押し通されそうになる
つまりロジック(論理)とカン。はて、どっちが大切なんだ?という悩みです。

答えはないのですが、ちょっと思うところを書いてみます。

 

①カンなんかクソ喰らえ

私は悩んでいるぐらいですので、基本的に”カン+権力”で押し切られることが大っ嫌いです。

 

若造で経験もないため、"カンと経験に基づく"提案に対してひどく抵抗があります。上司の説明に違和感を覚え、調べ回ったらやはり間違っていそうなので方針を変えさせる、という様な抵抗を結構してきました。

 

こんなとき、大抵の他人(年上の人は特に)は論破することは不可能なので、根回しが必要です。論理だけで納得してくれれば楽ですが、そんなに楽じゃない。他人の感情をコントロールするために気を遣ったり、「上司の上司」の権力を使うために根回ししたり。とても沢山、無駄に思われる時間を使ってきた様に思います。「あぁ、なんてモノワカリのワルイ人たちなんだ」、とかおもってしまいます。でも人間、論破されることって受け入れやすいものじゃないから、そんなものなのかもしれません。

 

ですので、基本的に”それはカンなのか、或いは事実なのか”ということを気にして仕事をしています。カンを前提に判断がなされそうなとき、かなり激しく拒絶反応が出ます。

 

②思い込みで成功した人って多い

しかし反面、いわゆる”成功した”人の本を読んでいると、こんな筋書きで構成されていることが多い様に思います。

 

『自分の(要するに)カンは正しかった。私はこのカンに沿って努力してきた。それゆえに成功できたんだ。+苦労話』

 

カンが嫌いな私。でもこういった本は好きで、感銘すら受けます。

 

そして座右の銘になりそうな以下の様な言葉。

これらを論理的に正と証明することは明らかに困難にも関わらず、私は胸に刻み、意識しています。

根拠のない自信が大事
人生、思った様になる/そして、思った通りにしかならない
人間万事塞翁が馬
努力は運を支配する
人間には天命がある

 

③わたしも実はカンで生きてる

そして何より、私自身も直感で判断することはとても多い。

上司の意見がヘンだ!と思うときも、論理的に矛盾している、ということがわかるのではなく、”なんか違くない?”と思う。いわゆるカンってやつです。

 

論理の飛躍や矛盾、前提のズレにすぐに気付き、かつ指摘できる程、賢い人間ではあればいいな、と強く思います。才能が羨ましく思います。しかし、大抵の人にとって、論理をカンペキに組み立てること自体がとても難しい様に思います。矛盾をバシバシつける人を、私はあまり見たことがありません。内容にもよりますが、『論理的に説明したまえ』という指令は、とってもハードルの高いことではないでしょうか。

 

まして、ビジネスの判断をするために、その成功を確約する(様に見せかける)ロジックを組み立てることってメッチャ大変です。

 

④カンが正しいことを証明する

語弊がありそうな言い方ですが、私はカンを正当化するために、論理を組み立てている様なことがあります。内田和成さんの仮説思考、を読み、なおさら意識する様になりましたが、

 

『多分こうだろう(仮説)→この仮説を証明できる事実を調べてみる(実験・調査)→仮説が正しいか検証する(検証)→方向修正・そしたら多分こうだろう(仮説②)...』

 

という様なプロセスを繰り返しています。

 

事実を積み重ねて、何かの方針を提案するのではなく、仮説を基に事実を集め、仮説を検証する。

 

重々、恣意的な検証とならないように注意する必要がありますが(意識しなくても恣意的になってしまうので)、この方が圧倒的に早く結論・判断・方針を導き出せます。

 

⑤サイエンスもカン(仮説)が大事

サイエンスもそうで、実験結果を基に仮説を立てるのではなくて、仮説ありきで実験すべきと思います。STAP事変を見ていると、「『あります!』だって。思い込みってヤダね-/サイエンスとカンとは最も遠いとこにあるのにね-!」 とか、なりそうですが、やはり仮説はとても大切だと思います。

 

元サイエンティストの身としても、ねつ造にはまったくもって寛容ではないのですが、どうせ気付けないときは誰もが気付くことはできないです。アインシュタイン量子力学を理解できなかった様に。スーパー数学者の藤原正彦さんも、言っておられましたが、「論理ではすべてを語れない」のですよね。程度の差はあれど、人間が論理的に考えられることには限界があります。

 

不確定要素が数多交わるビジネスの成功は「所詮運」と言われます*。”事実に基づく論理”を体系だてたサイエンスだって、"真実"が覆ること数多です。大切なのは仮説が異なることを受け入れる度量と、願わくば周りの寛容さや支えが必要なのかな、とか思います。

 

理系の博士は過酷といわれますが、”仮説が正しくないと路頭に迷う”という様な状況に本人も周りも、追い込まないで済む環境があればいいな、と思います。或いはビジネスでも、仮説を成り立たせなければクビだぜ?!みたいな追い込み方をしてしまうと、部下としては恣意的に情報を集めざるを得ず、STAP細胞を作りかねません。

 

 

結局、何が言いたいんだ

おじさんに思いつきで指示を出され、それは違うと思いながらもその場で否定しきれず、一生懸命調べて否定できることを証明したと思いきや、『そうだって言ってたじゃん』とか正当化されたり。。。

 

人間の脳みそは、どうやら過去の自分の判断を正当化する様、出来ている様です。脳味噌はいつの間にか自分を守ってくれるんですね。おじさんのカン(違い)とか思い込みとかゴリ押しで、うんざりするようなこともかなり経験してきました。

 

でも、まぁそんなおじさんは、若造の私にはない経験を持っています。

ロジカルに否定したつもりが、結果的におじさんの言うことが正しかったりもします

経験のなせるワザってやつでしょうか。私の方が間違っていることが多いのかもしれないです(いや、そんなことはない、と思いたい)。

 

結局はビジネスがうまくいくか否かは運。よく言われるこの経験則を前提にすると、論理的な戦略はその確率を高めるための、数多ある手段の1つでしかないのかもしれません。

 

カンとロジックをうまくバランスした、そんなイカしたビジネスおじさんになっていければ価値のある仕事ができるのかな。そんなこと思っています。

 

そうなると、どうなるでしょうね。

天命を果たしたぜ、みたいな仕事が出来るでしょうか。

 

そうありたいです。