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サイエンティスト・事業戦略担当・コンサルタントとして、企業の課題解決に取り組んできました。気ままにですが、参考になりそうなことを書いていければと考えています。コメントをいただけると嬉しいです。

もっとできるんだ病_心の鍛え方(荒木香織・著)の感想

ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」 (講談社+α新書)(荒木香織さん)という本を読みました。

自戒に胸が疼く様な書籍。とても学ぶことが多かったので、思うことを書いてみようと思います。

 

ラグビー日本代表のメンタルコーチで、内容として、メンタルをいかに鍛えるか、ということが体系だって書かれたもので内容自体も面白いです。五郎丸選手のお祈りも、荒木さんがプレ・パフォーマンスルーチンとして確立した様です。

 

非常に面白い本なのですが、この中に珠玉の1ページだと思った箇所があり、以下に抜粋・引用します。

『もっとできるはずだから』そう考えること自体は悪いことではない。でも、過去を振り買ってみて、そう思うことで『素晴らしいこと』が起きたでしょうか?そんなことはないのではないでしょうか。

 

だからこそ、もっともっと、と望むのでしょう。でもそういう人は『誰かが、環境が何とかしてくる』と思っていることが多い。そうしてくれるのを待っている。

 

環境は自分でつくっていくしかない。自分が変わらなければ、何も変わらない。そういうプロアクティブな行動をとらないで、ただ待っているだけでは、『もっと』と望んでも得られるものはない。

 

いま自分が出来ることを精一杯やっていけば、ストレスも少なくなるし、失敗することもそうはない。それでいいんじゃないかとも思うのです。そんなに多くを求めなくても、と....

 

上を目指すことについて

基本的に、日々、上は目指すべきと思います。理由は、この過程がハッピーだと思うからです。人間の普遍的な幸せとして、日々取り組む何かに少しずつ進歩がみられること。これは、人生で最も面白いことの一つなのではないでしょうか。

 

でも、ある目標を立てたとしても、すべてかなわないのが現実です。目標を立て、設定しても、時にかなわないことがあります。ある目標を達成し、次により高きを目指し、目標を立てる。これを繰り返していると、いつしか、その分野で、他人からはスゴイとしか言えない人になるかもしれません。

 

しかし上には上があり、どこかでつまずくことになると思います。

 

スポーツはわかり易いですね。だれしも地域で一番、都道府県一番、学生一番、日本一を目指し、世界一を目指しているうちに、どこかでつまずくでしょう。世界一の一人を除き。仕事も、勉強も、すべからくそのようなもので、人間、だれしも数えきれない挫折の上に、人生を築き上げていくのがふつうです。

恵まれない身体と頭について

アスリートとして上を目指すと顕著ですが、足が遅い、体が小さい、食べても太れない(and vice versa)、運動神経が良くない等。身体的に恵まれないことによって断念しなければいけないことはたくさんあると思います。

 

技能を向上する手段は数多あり、可能な限りの手段を尽くすことで能力を向上することはできるでしょう。でも、どこかに限界がある。

 

私もラグビーをしているため、足が速くなるためにいろいろ試し、体づくりをいろいろ試してきました。その結果、高校、大学、いや、一年前よりも能力を徐々に上げることができました。でも、50mを5秒台で走ることはできないし、ベンチプレスで200kgをあげるにはほど遠い。プレーもうまくなったかもしれないけれど、まだもっとうまくなりたい。でも、アスリートとして下り坂といわれる年齢/加えてビジネスパーソンとしての責務を果たすために、どこかであきらめることになるでしょう。

 

勉強や仕事も頑張ると、結構、伸びるものです。

○○大学に入るとか、年収----円を稼ぐとかいう、可視化・定量化できる目標を立て、着実に道を歩んでいく。素晴らしいことかもしれません。

 

しかしスポーツ同様、お山の大将が集まれば、大将の中で落ちこぼれること、この人には敵わないな、ということが多々出てきます。何をやってもトップクラスだったのが、英語だけ、数学だけ、、、とか。数学に限っても、xxxの理論に関してだけは、とか。年収も人より多いと思っていたら、2桁上の人が居たり。

 

努力の過程で、成績とか、年収とか、論文の数とか、役職とか。こうした可視化されたり、定量的な目標の多くは、あきらめなければならないことに気付きます。

恵まれない環境について

何かをあきらめる”原因”になりうるものとして、外部環境も挙げられます。失敗と平行関係にあるもの。完全に証明はできないでしょうが、因果関係すらあると思われますので、あえて”原因”と表現します。

 

金銭的であったり、家庭環境であったり。或いは、”たまたま出会った人”とか。世の中、決して恵まれない環境にいる人がいます。こういった条件が恵まれていれば、恵まれているに越したことはないでしょう。(逆境を乗り越えることは大切かとも思いますが、論点からずれるので割愛します)

 

でも、そうではない人は、小さい頃から『あぁ、。。。さえあれば/なければ』と思うことがしばし、あると思います。ある目標に向かって努力をしたものの目標が果たせなかったとき、彼我の持つ『環境の差』に責任転嫁すること。これは人間の普遍的な傾向で、数多くの警句があふれています。

 

自身を振り返っても、どうやって乗り越えようか考えあぐね、愚痴がこらえきれないことがあったり、時に涙することもあったし、他人から同情してもらうことも多くありました。結構、多くの方がそういう経験をされているのではないでしょうか。

 

ずいぶんと色々、あきらめてるけど、結構、手に入れている

そんなことをして、30年生きると、ずいぶん、あきらめたことが多いな、と気付きます。でも、あきらめる過程では、あきらめることが嫌で嫌で仕方なく/むしろ大抵はあきらめたことを認めることが出来ず、自己嫌悪になることを繰り返してきました。

 

『もっとxxxしたい』『yyyを手に入れたい』。。。

 

もともと上昇志向や向上心が強い方なのか、こういったことをよく考えてきました。

 

そしてふと気づいたのですが、大抵の目標は手に入れることが出来なかった。すごく高い目標、xxx/yyyに対してコミットしているうちに、多くの人が乗り越えられなかったaaaとかbbbとかcccとか、そういったものは確かに乗り越えることが出来たかもしれません。受かった大学や、テストの点数とか。こういった評価軸においての私の成果は、多くの親が大枚をはたいてでも努力をさせ/或いは自分自身で努力し、それでも、結構多くの人が果たせないものである、こともわかっています。

 

しかし、xxx/yyyは手に入れることが出来ず、常に自己嫌悪に陥っていました。

 

ずっと、『あぁ、なんか足りないな。もっともっと人から認められたい。他人から評価を得たいな』と思っていた。どうしたら良いか考えては試し、挫折を繰り返してきました。こうした人間の承認要求というのは、何ともに御しがたいものです。多くの人が得られないaaa...は得られたけど、誰からも認められるxxxを得たい。そんな欲求のために、満たされない気持ちになることを繰り返してきました。

 

白状すれば、他人に助けてもらいたい気持ちは、結構強いです。そんなこと願っても仕方ないのに。

もっとできるんだ病

こんな自分を振り買ってみると、辛いのは、他人の評価軸と自分の評価軸の境目が曖昧になっているときなんだと思います。

 

他人から評価されたいけど、評価を得られない。だから、冒頭に引用した様な、以下のスパイラルに巻き込まれている。かなり普遍的なスパイラルなのでしょう。

  1. もっとできるはず、と自分を追い込み
  2. 達成できないと、心のどこかで環境のせいにしてしまう(例え強く自分を戒めていても)
  3. 誰かに助けてもらいたいと思う

そして、どうにも自信が持てず、憂鬱になってしまう。

非常に不幸なスパイラルです。

 

また、赤羽雄二さんのセミナーに行き、話を聞いていてこれまた素敵だな、と思ったのですが、日本人の傾向として、『他人をほめるのがメチャ下手。これ故に日本人の自己評価は他国と比べ、ものすごく低い。』所謂、自信を持った人が非常に少ない状況といえるそうです。

 

私なりに加えると、確かに日本人で他人をほめる人はめったにいない。

おそらく日本人の勤勉な性格からか、常にカンペキ、”だれがみてもすごい姿”しかほめることができないからだと思います。或いは、他人のアラを探すのが好きなのかもしれません。これ故に自分の評価軸がぶれ、”他人の理想(≒カンペキな成功)”に達するまで追い求め、もっとできるんだ病に掛かってしまうんだと思います。”他人の思う理想”なんて、実現しえないのですけどね。

それで、どうしたらいいか

その答えとして、冒頭の引用が答えに近いのかなと思います。自分の人生を振り返った様で、涙でそうでした。

 

赤羽さんが、日本人の自信のなさに対しておっしゃっていたことも秀逸で、『ちいさな成功体験を設計し、これを少しずつ超えていく』ことでしか自信をつけることはできない、と仰っていました。日本人は能力はあっても成功体験の設計がヘタクソだ、と。自信持て!で自信を持てたら、苦労しない、と。

 

ですので、大切なのは『今ある環境で最善を尽くす』こと。『もっともっと。何か足りない』じゃなくて、今できる具体的なことを少しずつやる。『めっちゃ頑張って、手に入ったら素敵だな』、という目標を狙うのではなくて、『やったら出来そうだな/成功の手立てが付きそうだな』、という目標を自分で設定し、ちょっとずつ乗り越える。

  

そうすれば、少しずつ幸せな生き方ができるかな。その結果として、少しずつ他人の役に立てるのじゃないかな。

 

そんなことを最近、思っています。

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