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サイエンティスト・事業戦略担当・コンサルタントとして、企業の課題解決に取り組んできました。気ままにですが、参考になりそうなことを書いていければと考えています。コメントをいただけると嬉しいです。

母親が癌に侵され、死が近い時に思うこと②

以前、同じタイトルで記事を書きました。

 

誰もが避けられない事実。その時の誰かの考え/気持ちの整理に少しでも助けになればと思って書きます。

 

先日、母は治療効果がないとのことで抗がん剤治療を止めました。その後、食事が摂れなくなりました。一週間と経たずに見た目が変わる程、急速にやせ衰えていきました。

 

話す声に張りがなくなり、吐き気が止まらず、家に帰ってもロクに話もできませんでした。カルピスウォーターを食事替わりに不味そうに飲み、今まで私の前では見せたことのない弱気な顔をしています。母は割と能天気なのですが。今までに見たことのない程、辛そうな顔をしています。

 

30年も私の親でいて、辛いことがないはずないです。でも、いつも辛くてもそんな顔をしないでいてくれたのかもしれません。

 

正視に堪えません。

 

あと何回、こんなことを書けるでしょうか。

ブログを書くより、会いに行った方が良いのかもしれません。

でも、医者でもない私には何もできない。

医者も何もできない。これは現実です。

誰にも、なにも出来ないのです。

 

神よ変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。 

 そんな言葉があります。ニーバーの祈り、というそう(Wiki.)。好きな言葉です。

 

変えることの出来ないもの。これを冷静に受け入れる力。そんな力を得られたらいいのにな。

 

そう思います。

 

でも、中々、受け入れ難いものですね。

 

何もできることはないとわかっていながら、もどかしさと歯がゆさ、悔恨が走馬灯の様に思い浮かびます。

 

他人に相談しにくい。とても。 

他人にこういった状況をオープンにすべきか。悩みの一つでした。

でも、私は先日、関わりの深い人に伝えました。

 

色々と考え方はあると思いますが、気持ちの許す限り、出来れば少し無理をしてでも、仕事の仲間、友人、恋人etc...には伝えるべきだと思います。

 

以前のブログに書きましたが、 

正解はないものの、以下の理由からシェアした方がベターだと思っています。

  • 死は日常の延長にあって、死と生活は実質的には隣り合わせ。私がそうである様に、誰もが、人の死と隣り合わせの中で生きている。だから、こうした事情を言うことは不自然なことではない。会社でもなんでも、組織や成果物はこうした私情も含めて、成り立っている
  • 黙っていても誰も気づいてくれない。誤解を生むばかり。せいぜい、他人が思うのは『なんか元気ないな』程度です。言わない限り、家庭内の事情なんて知る由もなく、誤解を生み、その結果、不幸を生みかねません。別の例ですが、ガンを患いながら働いている方が居たのですが、私は全く気付かず普通に仕事を頼んでしまい、猛烈な後悔をした覚えがあります。初めて知ったとき、『そんなの知っているかと思った/気付くよ普通』という雰囲気になりました。でも、言われなければわからないのです。特に普段話さない人は、違和感しか感じない。引き出すことも大切でしょうが、一緒に何かをしようとする人間としては、辛いとき/困難を抱えているときは、出来るだけオープンにしてほしい。客観的に困難を抱えている人を見て、強烈な悔恨と共に、そう思いました。
  • 組織として何か結果を出そうとしたとき、他人の事情は知っていた方が、お互いカバーしやすい、本人も力を出しやすい。性格にもよるのかもしれませんが、どうしても人間、辛いことがあるとふさぎこみがちになります。でも、自分の事情を知っている人が居る、ということはとても支えになります。信頼できる人だと、なお好いです。また反面、なんだかわかんないのにふさぎこまれてしまうのは、迷惑。セルフ・ハンディキャッピングは、チームメイトには迷惑でしかない。自身の仕事へのアウトプットへの責任として、オープンにすべきと考えます。こういった事情に対しては些か抵抗がある表現ですが、『気付いてよ/気遣ってよ』という心理は、幼稚である気がします

 

そして、実際に伝えたところ、やはり良かったと思います

 

サポーティブな言葉、或いは配慮をいただきました。或いは配慮してくれていることを感じて嬉しく、また、仕事上のストレスがなくなりました。

 

私の様に、考え込みがち、悩むと閉じこもりがちな性格の人間にとって、独りで悩むのは、向かない様です。まして、辛い状況を一人でやり切ろうとするべきじゃない。

 

他人に言わない理由として、「言っても迷惑だから」ということが心理的な障壁になるのかもしれません。でも、

 

  • 勇気を出して愚痴を言う
  • 思い切って状況を知ってもらう
  • 勇気をもってお願いする。

こういったことも必要ではないかと思います。自分のためにも、他人のためにも

 

関係の深い人にとっては、「なんか抱えているな」と気にすることって結構、強いストレスなのかな、とも思います。

 

実際にしてみて、改めて良い仲間、周りの人に支えられているな、と思います。

 

ただ逆に、関係が深くても信用できない人には言えないかもしれません。

例えば、以前下に就いていた嫌いな上司だったら言わないと判断したと思います。心情的に気を許せず。


やはり、とても判断が難しいことだと思います。

 

改めて伝えたいこと

いざ、死期が刻々と迫る中、何をしてあげることが出来るだろう。

もう一度改めて考えました。

 

お礼ですね。

 

これが一番、親にとって嬉しいのではないでしょうか。

そして、自分自身が、もし伝えなければ一番後悔するであろうこと。

 

そういえば、お礼を言ったっけ?

もし、そうできない状況になったら、そう考えると思います。

 

「親孝行したいときに親はいない。」と言います。

 

なぜ、親孝行したいと思うか考えてみると、親の苦労がわかり、それに感謝の念を覚え、お返しをしたくなるからだと思います。

 

要するに、お礼を言いたいのです。

 

だから、思いつく限りのお礼を伝えてみるといいと思います。

  • 父親と喧嘩したとき、守ってくれてありがとう。
  • 進路で、全く言うこと聞かなかったのに、結局サポートしてくれてありがとう。
  • 自分の贅沢は一切せず、子どものために捧げてくれてありがとう。高校生の頃から、俺の方が高い服とか靴を買っていたね。
  • 喧嘩した後も、どんな時も、ご飯つくってくれてありがとう。
  • それでも苛々して、「メシいらない」とか言ったのに、それでも尚、つくってくれてありがとう。
  • 遊んで深夜帰っても飯や身体のこと気にしてくれてありがとう。
  • 酷いこと、何度も言ったのに、それでも愛してくれてありがとう。
  • やらせたくないのに、怪我してばっかりなのに、心配しつつもラグビーさせてくれてありがとう。
  • 好き勝手、何も言うこときかずにやっているのに、心配してくれてありがとう。
  • 癌で辛いのに、ご飯作ってくれて、食べているとお茶もわざわざ出してくれて、ありがとう。

まだまだ、思い出してしまうかな。

 

親が望んだことを何もしていなくて、一般的に褒められた生き方をしていない気がします。

それでも何かしてあげたい、と思ってくれていたのでしょうか。

 

無償の愛ですね。

 

涙出てきます。

 

また書けるといいな。 

 

 

 

 

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