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サイエンティスト・事業戦略担当・コンサルタントとして、企業の課題解決に取り組んできました。気ままにですが、参考になりそうなことを書いていければと考えています。コメントをいただけると嬉しいです。

母親が癌に侵され、死が近い時に思うこと③

まだ、母は生きており、こうして記録を書くことが出来ます。

以前から、お伝えしているものの続きを書きます。 

 

母親が癌に侵され、死が近い時に思うこと -

母親が癌に侵され、死が近い時に思うこと② -

 

考え様によっては、本当に幸せなことなのかな、とも思います。いきなり肉親の死を伝えられる方も珍しくない中、余命宣告を受けてから、2年以上も生きていてくれている。 

 

どうしてそんなに生きたいのか

  • 1年寿命が15%と言われてから、既に2年半近くの歳月が経ちます。
  • 具合が悪くなり、もって1-2か月と言われ、それから2か月目になります。
  • 救急車で搬送され、「今日かもしれないし、来週かも知れない」そういわれてから、3週間が経ちます。

それでも、生きてくれている。。。

 何が、そんなに母の生きる気力になるのでしょうか?

決っして、裕福でもなく、金銭的に恵まれているわけでもない。

 

家はボロボロ、服も何年前に買ったものを着ているのか、わからない。もちろん、近所のスーパー高で買ってきたような、ユニクロかそれ以下の値段の服。

 

子供はみな、言うことを聞かない。

めったに帰らない。

 

今、私が想像できる範囲では、母が何を面白いと思っているのか、想像がつかない。 

皆が自分と同じと思ってはいけない

先日、とある人の話を聞く機会があり、そんな言葉を聞きました。

「自分はそうだと思い込んでいたことが違うことは、往々にしてある。人は、自分の考えている/考えることの出来る範疇に物事を収めようとする」

ふと、そうかもな、と思うことがありました。

 

人づての話なので、詳しくは分からないのですが、アキバ文化を広げたある社長は、まったくもってアキバ文化に興味がないとか。

 

「アイツラがなぜ興味を持っているのかわかんないけど、どうも売れそう」

 

で、成功したそうです。

 

経済的自由、高学歴とか、高収入とか、大手企業に入るとかは、相応に幸せを運んでくれる。多くの人は、そう思っています。私も、多くの人はそう思っている様に思えてしまいます。

 

でも、母は違った様でした。

 

今もまた、私には幸せの要素が見えない毎日の中、私の理解できない幸せを感じて、毎日を生きているのだと思います。よくわからないけど、理解できないけど、それで幸せなら、そうしてほしいと思います。

 

今際の際に、¥3000の花束が高い

飲むことも、食べることもできない。

食べることは愚か、水を飲んでも吐いてしまう状態にいる母。

何もできることはない中、せめて目は見えるので、週末に花束を病室に持って生きました。

 

「良い花束。いくらしたの?¥1000じゃ買えないでしょ?」と。

値段を伝えると、「お金の使い方が間違っている!」と怒られました。

 

そして、家賃の話になり、「東京で7万円だって高いのに、それ以上なんて。。。何を考えているの?」となり、

「私がずっと個室にいるのは高い、もったいない。隣の病室が空いているか見てきて!」と言われました。

 

所謂有名な大学を出て、

願う人誰もが就くことが出来るわけじゃない仕事をしている私。

同世代の多くの人よりも高い年収を頂いているのに、7万円の家賃が高い?

 

今際の際に、病室の値段が高いことを気にするの?

もう、聞いていると思うけど、いつ死ぬか、わからないんだよ。

もう、余命宣告の期間はとっくに過ぎているんだよ。

 

それでも、数千円の花束が高いの?

お金を理由に、個室を嫌がるの??

 

雑巾の様な手触りの下着を着る母。

かたや、1万円以上の服を買う私。

 

こうやってお金をねん出してくれてきたのでしょうか。

戦中生まれ、戦後育ちの母の金銭感覚と、私のそれはだいぶ異なるのでしょう。

まして、経済的に成功した訳でもないため、お互いが理解できる範囲を超えているのでしょうか。

 

きっと5倍以上の値段の服を着た私に、奨学金の返済金をあげようか?とまで言われてしまいました。

 

そんなことより、何かお金で買えるもので幸せを少しでも感じてくれたら、私もうれしいのですが。。。

 

私が喜ぶだろうと思ったものを母は喜ばない。私がほしいモノを母は与えることが出来ない

小さい頃から、両親とは話が合いませんでした。

 

家にいることは幸せではありませんでした。「xxxがしたい」ということはたいてい、反対されてしまったのが、心に引っかかっていたせいだと思います。

  • 塾に行きたい
  • 携帯電話がほしい
  • 部活の合宿に行きたい
  • 部活を続けたい
  • 勉強がしたい
  • 勉強部屋にクーラーがほしい
  • 大学に行きたい
  • 名門と呼ばれる大学を蹴りたい
  • 大学院に行きたい

多分、結構多くの親御さんであれば、認めてくれたことではないでしょうか。優秀とは思わないですが、我慢強い方で、上位5%ぐらいの成績に居て、主席を取ったこともあるぐらいで、成績は悪くなかった。

 

わがままと言われればそれまでだけど、でも、同世代の多くの人が親にしてもらうこと/許してもらうことを、私は涙を流さなければいけなかった。相対的貧困とか、そういわれるものなのかもしれません。頑張っても認めてもらえない。人生の邪魔を親にされている様で、居心地がずっと悪かった。

 

私はずっと、「普通になりたかった」のだな、と思います。

結局ずっと、「変なひと、変わったひと」と言われてしまいますが...

 

お互い、相手が幸せだろうな、と思う感覚がずれている。非常に。別れの間際になっても、それは解消できませんでした。

 

悲しいことじゃないかもしれない

でも、悲しいことなのかな?と思うと、そうでもない様な気がします。

 

確かに、理解し合えない。家に帰ることが面白くない、楽しみではなかったということは、嬉しいことではないかもしれません。

 

でも、私は無償の愛ってものを、なんだかんだ受け取っていた様に思います。

 

私が中学生ぐらいのある日、母が外出して喫茶店に寄り、1000円札がなく、友人の母にお金を借りたことがありました。私はあまりに恥ずかしくて、癇癪を起した記憶があります。

 

でも、そんなしみったれたことを恥ずかしいと思うこともなく続け、子どものためにお金を貯めるために、使わずにいてくれた。同世代の母よりは10歳ぐらいは年上でしたでしょうか。少なからぬ同調圧力はあったように思います。

 

でも、子どものために使うお金を第一に考えて、お金を遣わずにいてくれた。確かに恥ずかしい思いをすることは多かったし、嫌だった。でも、それ以上はなかった。

 

そんなお陰でなんだかんだ、大学院まで行くことが出来た。働き、衣食住足る生活を送ることができている。これらは、3000円の花束を死ぬ間際に「高い!」と怒る経済感覚の上に成り立っていた様に思います。

 

わかり易く「欲しい」と思うものは、中々、与えてもらうことはなかった。でも、母は自分の贅沢を捨てて、私や兄弟に捧げてくれた様でした。最低限だけど絶対に必要なものは与えてくれた。おかげで何とか今、生きている。

 

逆に、母が幸せだと思う目に見えるモノを、私は与えてあげることはできませんでした。どうやら、望んでいる結婚も、見せてあげることが間に合わないでしょう。自分の人生への投資だという思いがあるため、家賃7万円以下のアパートに住む気は今のところないし、他人が汚いとか安っぽいと思う服装をしないように気を付けることは変わらないでしょう。

 

お互い、死ぬまで、理解し合えない。でも、最低限の愛だけは30年ぶっ続けて持っていてくれた。

 

そんなことに気が付くことが出来た。それはまた、幸せなことなのかもしれません。

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