仕事としてきたサイエンス・コンサルティングに関して、雑感(ただしできるだけ人の参考になりそうなこと)を書くブログ

群衆心理についての雑感・・・報道と多くの人の行動について思うところ

3年以上ぶりに記事を書きます。

きっかけはCOVID-19の報道と、報道を踏まえた多くの人の自粛への圧力に対する違和感です。違和感を言葉にするため、書いてみました。

 

個人的な感覚としては、現在の自粛ムードはあまりにも過剰であり、常軌を逸していると思っています。また多くの報道については、不安をあおるような数字の見せ方をしているように見え、”いったい何が裏にあるのだろう?”という疑問を抱かざるを得ない報道だと思っています。

 

理由は、

  • 未知のウイルスだから恐れは必要
  • でも、季節性のインフルエンザと比べたらめちゃくちゃ国内の感染者数は少ない(仮に十分な検査がされていないとしても。1日の感染確認者数約50人÷1.2億人て、例えその数が前後したって、だいたい年末ジャンボ10枚買って1等当たる確率と同じじゃないか)
  • 感染率と致死率と掛け合わせたものを危険度とすると、それってインフルエンザと比べた時、多く見積もっても同程度と認識してよいんじゃないか
  • 素人目に見ても、上記のような比較すべきデータとその解説を各種報道は殆どしていない。「今日もXX県でXX人の感染者が。。」て、重要?!(報道側の倫理って何なんだ、と憤ってもいる)

が主なところですが、このあたりの議論は望むところではないので、まぁこんなところで。このあたりは、武田邦彦さんの解説が分かりやすいので、引用させていただきます。

https://www.youtube.com/watch?v=KV_nPM_QyTE

 

さて本題の”報道と人の行動”について。

今回の騒動に関する私のスタンスは、ホリエモンこと堀江貴文さんの感覚とかなり近いと感じているのですが、堀江さんの動きに対する反応を見ていると、こういった報道下で人はどう動くのか、というのが顕著に表れていると思います。

 

下記は先日行われ、賛否別れた堀江さんが開催したイベント「ホリエモン祭」ですが、このブログを書いている時点で、開催についてのコメントが14件ありました。この内容を読んで反対・賛成を分け、更に開催賛成/反対に対するコメントに対する評価;イイネ/ヨクナイネ率を見てみると以下の通りでした。

  • 開催賛成:4件(イイネ率 約12%/ヨクナイネ率 約88% (n=225))
  • 開催反対:8件(イイネ率 約89%/ヨクナイネ率 約11% (n=289))
  • どちらでもない:2件

https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2020031602100040.html

 

おおむね9割近く;「開催賛成ヨクナイ」の人+「開催反対イイネ」の人が、「こんな時に人が集まるイベントをやるなんてアカン!自粛せよ!!」と言ってるのかと思います。母集団が中日スポーツの読者、かつコメントまで読む集団での分析なので多少の偏りがあり、いささか乱暴な分析ではあるとは思いますが、500超の評価数なので、そんなに大きくはずれないのでは、と思っています(イマドキはスマートニュース経由等で読む等があるため、読者は”競馬場帰りのおっちゃん”ばかりじゃなく、そんなに評価者は偏ってないと思っています)

 

そして、怖いと思ったのが、開催反対のコメントが、例外なく事実ベースの批判ではなく、感情的だったこと。抜粋すると、下記のようなものです

  • 大村知事、河村市長は何もアクションしないわけ?(※コメントはこれだけ)
  • 飲み食いするイベントみたいなんですが・・・(中略)・・・感染リスクゼロというよりはむしろ高めじゃない? (※「むしろ高め」とする根拠はない)
  • 会場をお貸しした場合のリスクも考えて下さい。・・・(中略)・・・どうか決まりませんように
  • 駄目だよね開催しては。検査が一般化しない限り、ヨーロッパみたいになる可能性あるんだから。ヨーロッパはコロナをなめてた

こういったコメントに賛同する人たちがおおよそ9割。改めて思いますが、人は感情で動くものなのですね。

 

時代を超えて読まれている私の愛読書の一つ、D・カーネギー著「道は開ける」は、不安に対処するための心得が書かれていて、「年間35万人にひとりしか落雷による死亡者が出ない」ように、「もしも私たちが平均の法則に照らし合わせて自らの不安を考えてみたならば、今抱えている不安の9割は即座に消滅してしまうに違いない」とあります。そして、”こうした人の持つ性質は変わらないから保険会社が安泰”といったことを言っています。

ちなみに国内でCOVID-19に罹って亡くなった方は現在までに50人前後となりますが、日本人1.2億人とすると、確率は240万人にひとりです。老人の場合は…等と、正確を期して母集団の数をいじくっても、落雷で死ぬ確率と50歩100歩でしょう。

 

リスクを自分なりにかみ砕いて考えると、「新型」であってよくわからないものへの恐れを差し引いても、報道&自粛の圧力と、実際に想定されるリスクとのギャップに違和感を禁じえず、「鬼畜米英」と言ってた時代と「イベントするなんて”非国民”」と言っている現代は進歩がないように思えてきました。

 

当初、こういった自粛の圧力をかける人達のことを、不安に立ち向かうことを放棄した人、自粛しない誰かのせい等、他人に責任を擦り付けて逃げているだけの人(きっと自粛しても給料変わらないんだろう…)として、残念に思っていたことがありました。恐れているものがどのようなものなのかよく考えて行動してほしい、そんな考えが広がってほしい(D.カーネギーの本でも読んでみろ!)とかも思っていたこともありました。根本的にこうした想いはあまり変わりません。

 

しかし最近、戦時中と大差ないであろう群衆心理とその割合を見て、これが人の本質で、変えようのないものなのかと思ってきました。こうした人達のいない世の中なんてありえないんじゃないか。さもなくば、保険会社はもっとつぶれていて、毎年宝くじの行列はできないでしょう(※保険会社や宝くじの社会的意義を否定する意図はありません)。

 

TV局がポンコツだとかオワコンだとか、まぁそういったことをどんなに声高に主張しても、発信力のない私としては、群衆心理を変える力はないし、目指そうとしているところではない。そんな私が変えようのないことを考える余力があるのであれば、クライアントのためを考え、行動をしないと(これならできる)。

 

ある種私も、群衆心理に引き込まれ、非生産的な活動にリソースを割かれてしまったのかもしれません。これぐらいにしておこうと思いました。